全集第35巻P214〜
(日記No.317 1927年(昭和2年) 67歳)
7月29日(金) 晴
イザヤ書49章50章を読み、これが我が主イエス・キリストの聖書である事が分かって心が晴々した。殊に50章6〜9節を読んで、我が救主の心が推し量られて、奇(く)しき平和が我が心に臨んだ。
我を鞭打つ者に我背を任かせ
我が鬚(ひげ)を抜く者に我が頬(ほほ)を打たせ
恥と唾(つばき)とを避くる為に面(かお)を奄(おお)ふ事をせざりき。
これを読んで涙がこぼれた。キリストの苦難(くるしみ)とはこれである。この苦難なしには彼の歓喜(よろこび)はない。少しでもこの苦難に与ることが出来て、感謝の至りである。この事が解って、他に何も知りたくなくなる。
独り海岸に行き、波打つ際(きわ)に足を浸(ひた)しながら、ヘンデルの「救主」の初めの一節を幾度となく口ずさんだ。
Comfort ye, comfort ye, my people;
Saith your God. (40章1節)
7月30日(土) 晴
暑熱に苦しむ。しかし涼を追い求めるので一層苦しむのである。義務を追えば、暑さは自ずから忘れられる。
引続きイザヤ書52章53章を読んだ。全世界の文学に、こんな者は無い。これを解するために全生涯を旧約の研究に費やすだけの十分な価値がある。預言者エレミヤの事から、キリストの事に思い及んで発せられた言葉であろう。
人生の全ての悲劇と喜劇とは、この二章の中にある。ヴォルテールやショーペンハウエルやニーチェにこの章が解らなかったので、彼等のような嘲笑または悲観哲学が出たのである。私はChristian であって、Christian optimist である。ただのoptimist でない、Christian optimist である。
7月31日(日) 晴
久し振りの、集会なしの日曜日であった。イザヤ書54章から56章までを読んだ。その後に、「哲学の話」の内にショーペンハウエル哲学の梗概(こうがい)を読んだ。神の言葉と人の哲学を比べて、後者が如何に貧弱であるかを感じずにはいられなかった。
キリスト教国に在って、こんな憐れな哲学を編み出さなければならないかと思って、不思議に堪えなかった。しかしこれはみな、主としてキリスト教会の罪である。真のキリスト教が唱えられたならば、こんな哲学が出る必要はない。
寂滅(じゃくめつ)の涅槃(ねはん)を目的とする仏教はキリスト教に勝る宗教であるとの意見に至っては、キリスト教を全く誤解した者の宗教観と言わざるを得ない。
◎ 若き内村が札幌から帰省し、かの地の様子を語り、多少北門が我が家のために開かれたことを知って、懐旧の念に耽(ふけ)った。
8月1日(月) 晴
両雑誌校正のために朝早く柏木に帰った。車中イザヤ書57章から60章までを読み、時間のたつのを知らなかった。隣席には、逗子鎌倉から東京に出勤する者が物価相場を語るのを耳にしたが、預言者の声を打ち消すことは出来なかった。家に帰り校正に従事する合間にイザヤ書の注解書を覗(のぞ)いた。
8月2日(火) 晴
二週間目ぶりに塚本に会い、御殿場富士岡荘における日本キリスト教女子青年会同盟夏期修養会の実況を聞いた。会期は7月16日から26日までであって、講師は無教会の塚本虎二君、日本基督教会の金井為一郎君と郷司慥爾君、日本メソジスト教会の松田明三郎君であったと言う。
全国から来集した女子青年は140人であって、内無教会の塚本に就て学ぼうとする者が60人、日基の金井君に40人、郷司君に25人、メソジストの松田君に15人であったと言う。実に奇異な現象である。
米国宣教師の指導の下にある女子青年会の集会に、塚本のような無教会主義者が招かれることさえ不思議なのに、来会の女子の多数が、彼の許(もと)に走ったとは、さらに不思議である。
こうして日本に在っても支那に在ると同様に、米国宣教師の信用勢力は地に堕ちつつあることが分る。彼等が如何に威張ろうが、会衆が承知しない。
無教会主義は蛇蝎(だかつ)のように嫌われつつあるが、公衆には歓迎されつつある。宣教師は、いやいやながらも、無教会主義者を、彼等の指導の下に開かれる集会に講師として招くことを余儀なくされて、彼等の勢力の衰退を表しつつある。
8月3日(水) 曇、小雨あり
関西のある女子師範学校教諭某女史から、内村聖書研究会に対する、長い攻撃の書面が届いた。その中に次のような文字があった。
初め有島武郎は憎い奴だと、ただ内村先生の御言葉を尊んでいましたが、この頃しきりに思いますに、やたらに御自分と意見が外れてくると、絶交絶縁、汚れた物をゴミ箱に入れればもう宇宙のどこにも消失して、無いと思召(おぼしめ)されるかのように御とりなしになった先生が有島氏をつまり殺したのだと言ふような考えが浮かんで来ました。計らずも○○○○先生と、この説は一致しました。
これは随分な酷評であると思う。有島氏と絶交した覚えはなく、彼と私とは最後まで好意的交際を続けてきたことは事実である。もし氏が死を決する前に私の所に相談に来てくれたならば、あるいはこれを食い止め得たと思う。
その事は別として、私がつまり有島氏を殺したのであると言い放つ人が、私を先生と呼ぶ人の内に在ると聞いて、不思議に堪えない。しかし、たとえその事が事実であったとしても、私は失望しない。
親鸞聖人は言った、「たとえ私が二十人の女を姦し、百人の人を殺したとしても、弥陀の本願を信じるに由て拯(たす)かる」と。私もまた私がした善悪に由て審判(さば)かれるのではない。贖罪のキリストを信じることによって救われるのであるから、私もまた安心して良いと信じる。つまりどうでも良い問題である。
8月4日(木) 曇
昨夜は大雨で、屋根が漏り、夜中に大騒動を演じた。その後片付けに半日かかった。雑誌の校正を終った。その他雑用が多かった。暑中に、これに当る健康を与えられて、大きな感謝である。
この日スイスのジュネーブにおいて、英米日三強国の軍縮会議が決裂に終ったという報があった。これで先年のワシントン会議までが、無効になってしまったのである。
人間が催した平和会議が、成功に終った例は、世界歴史において未だかつて有ったことはない。その反対に、平和会議の後に大戦争が始まった例が多い。
今度の軍縮会議も英米衝突の因を成し、第二の世界大戦を招くに至らなければ幸いである。世界平和は、神の聖業(みわざ)である。彼はこれを人間に御譲りにはならない。今度の会議の結果は、当然の成行きである。
8月5日(金) 半晴
用事が一先ず片付いたので、夕刻に再び海浜に来た。忙しい5日間であった。しかし、全ての責任に当ることが出来て、感謝である。ただしその責任の大部分が家や親類の事であって、天下宇宙の事でない事を悲しむ。
どう見ても、日本は小人国である。「自分を救ってもらいたい、助けてもらいたい」と言う人だけが多いのに驚く。その上に米英流の進歩した自分勝手主義が加えられたのであるから堪(たま)らない。
8月6日(土) 晴
衣食足りて礼節を知るというのは、必ずしも真理でない。世には足り過ぎるほどに衣食に足りてなお礼節を知らない者が沢山に在る。近代のいわゆる上流社会の人たちがそれである。これ等の上流人士ほど無礼極まる者はない。
葉山のような避暑地に来て、明らかにこの事を示される。その反対に、衣食に不足する人の中に、心からの紳士淑女が少なからずいることを、私はよく知っている。近代の上流社会の人たちは、化粧した野蛮人だと称する他はない。
8月7日(日) 晴
藤本医博の借家で、小集会を開いた。イザヤ書11章に由り、世界平和の実現に就て話した。スペンサー哲学の梗概を読んだ。実に偉い哲学者であった。私など、もし教会に毒された英国に生れたならば、小さなスペンサーまたはハックスレーに成ったであろう。
彼が英国の教会と、そのキリスト教を棄てたことに対しては、深い同情なしにはいられない。彼の父祖の宗教は、勇敢な独立心となって彼に存(のこ)った。彼もまた純なピューリタン的信仰の産である。
(以下次回に続く)