全集第35巻P259〜
(日記No.328 1927年(昭和2年) 67歳)
11月28日(月) 半晴
姪を連れてバビロンに行った。丸善で哲学書を4冊買って帰った。市中に出るのは生命がけの仕事である。
11月29日(火) 雨
来客の多い日であった。多くの不愉快な問題がある。米国宣教師某婦人と詰問のハガキを取り交わしている。日本人から常に「然り、然り」という返答を受けてその一生を送った彼女に、今日ここで日本人に対する礼儀を以てする途(みち)を知らさせるのは至難の業(わざ)である。
彼等米国人は、今年全部支那から退却せざるを得なくなった深い理由を考えない。米国人は東洋人の礼儀を解し得ない。殊に米国婦人の無礼ときたら、特別である。支那人は彼等に去ってもらって、良い事をしたと思う。日本人も何故この事に就て支那人に学ばないのか。
11月30日(水) 曇
新聞紙は、松方公爵家の没落を伝えて言う、「松方公は昨日、辞爵を申し出た。米塩の資も擲(なげう)つ決心である。松方一門悉(ことごと)く丸裸」と。実に夢のようである。聖母マリアの讃美歌に
権柄(いきおい)ある者を位より下し、富める者を徒(むな)しく返らせ給ふ
(ルカ伝1章52、53節)
とあるのは、実にその通りである。今や私の方が松方公以上の富者であるとは、何と滑稽な事か。
12月1日(木) 半晴
忙しい校正日であった。
12月2日(金) 半晴
コリント後書1章13〜15節の研究を以てこの日を始めた。各節パウロの心中を披瀝して余りがある。同情の涙を禁じ得なかった。
12月3日(土) 晴
西野入徳君の、11月7日英国ロンドン発の通信に言う、
私はロンドンに参りましてから、早や数週間になります。随分種々の事を感じさせられます。英人に Anglo-Saxon Superiority の心が強い事、大学の優等生は宗教界に向わず、科学、実業に向う事、そしてこれ等の有為な青年が、漸次教会宗教から遠ざかりつつある事、等が明らかに見えます。彼等はモットモット充実した生きた宗教を求めています。
その本国である英国や米国において捨てられつつある教会宗教が、日本において採用されるはずがない。何も私たち日本の無教会信者が教会を壊すのではない。時勢が既に教会を置き去りにしたのである。私たちは教会の外に出て、「時」と共に歩みつつあるのである。
12月4日(日) 晴
外苑大講堂における集会は相変わらず盛会であった。男400人、女300人ぐらいであったろう。傍聴は52人であった。塚本はマタイ伝16章16〜18節により、教会問題を講じた。実に痛快であった。私はついでに米国宣教師のこの問題に関し、私に表した反対を紹介した。
12月5日(月) 晴
記すべき事を秘す。
12月6日(火) 晴
両雑誌の校正を終った。
12月7日(水) 晴
札幌の孫へ長い手紙を書いた。その後、グスタフ・クレーゲル Gustav Krueger のインガソル講演を読んだ。霊魂不滅論を哲学史的に述べた者である。教えられる所が多かった。哲学の目的は人の霊魂を教会の束縛から解き放つことにあるという意見に全く同意せざるを得ない。
教会を最善の物と思うぐらい間違った考えはない。その点においてブルーノ(恐らく
https://en.wikipedia.org/wiki/Bruno_Bauer )、シャフツベリー侯と全く同意見である。哲学は教会の敵である。
12月8日(木) 曇
休息の一日であった。コリント後書6章4〜10節の研究を始めた。パウロは自分に臨んだ患難の数々を述べ立てる時に、熱しておのずから歌を作る。この箇所がそれである。壮美である。彼の偉大さは、このような所で分かる。この「患難のうた」を作り得た人は、この世の人でなかった。愛すべき尊きパウロよ。
12月9日(金) 雨
無為の一日であった。
12月10日(土) 曇
米国において外国伝道廃止論が識者の間に唱えられると聞いて、もっともな事と思った。
12月11日(日) 晴
麗しの初冬の聖日であった。外苑の大講堂に760名ほどの聴衆があった。私は「平和実現の夢」と題して、イザヤ書1章1〜4節に合わせて、ミカ書4章の初めの4節を講じた。題目が美(うる)わしいだけに、十分な気乗りがして楽しかった。
この日音楽家の黒沢貞子嬢が、近藤沖子嬢のピアノに合わせて讃美歌第317番と第444番を独唱してくれた。実に美しかった。
私たちの生涯に悪い事も無くはないが、良い事の方が遥かに多い。今日の聖日などがそれである。このような大勢の兄弟姉妹に私の講演を清聴されて、全世界が私の味方なのではないかと思った。
12月12日(月) 晴
網島佳吉君の友誼的訪問を受けて楽しかった。旧知が相会する時に、有教会も無教会もない。ただひとえに主の聖名(みな)が揚がることを願う。
12月13日(火) 晴
記すべき事なし。
12月14日(水) 半晴
両雑誌の発送が済み、来月号の編集が始まらず、一日の閑を得て休んだ。
12月15日(木) 半晴
横浜聖書研究会の、私、塚本、畔上を主賓とする晩餐会に臨み、その懇切な饗応に与った。
12月16日(金) 半晴
キリスト信者である私が、果して愛国者であるかを究めるために、大東文化学院講師某氏が「聖書之研究」を20年間毎号読んでくれたと聞いて涙が出た。さすがは我が国の志士である。こんな人は米国などには薬にしたくもない。
12月17日(土) 晴
聖書に親しみ、楽しい一日を送った。
(以下次回に続く)