全集第35巻P263〜
(日記No.329 1927年(昭和2年) 67歳)
12月18日(日) 雨
外苑大講堂における最後の講演会であった。雪まじりの雨天にも関わらず、700人ばかりの聴衆があった。前回に引き続き、イザヤ書2章2〜4節に加え、同11章1〜7節につき、「平和実現の途(みち)」と題して講じた。これで市内出演を終り、再び柏木に帰る事にした。
12月19日(月) 曇
寒い嫌な日であった。
12月20日(火) 晴
寒気が強い。忙しい日であった。何時になったらば休めるだろうと自分に問えば、「墓に入ってから」と答える。生きている間は休めない。ただ小事に追われて世界の大思想を窺(うか)がう機会が少ないのを悲しむ。
12月21日(水) 晴
編集に全日を費やした。これで先ず今年書くべき物を書き終わった。また来年である。死ぬまで健康の続く限り書くのであろう。
12月22日(木)
疲れて何も出来ず、火に倚(よ)って休んだ。このような時に旧い善い信仰に立ち返る。生ける救主を仰瞻(あおぎみ)て人の全ての思いを超える平安を享楽する。
12月23日(金) 雨
柏木聖書講堂の改築がようやく出来上がった。随分の骨折りであった。2千円ほどかかった。しかし会費の剰余金でこれを償うことが出来て、会員には少しも出費を掛けずに済み、感謝であった。
◎ 夕方6時から外苑青年館食堂において柏木青年会のクリスマス晩餐会が催された。会する者は老若男女合わせて89人であった。私の感想としては、「常に若くある秘訣」を述べた。
その一は、常に沢山笑う事、その二は、常に強い敵を持つ事であると語った。後で悪い事を青年たちに教えたと思った。よくユーモアを解しない人たちにユーモアを語るのは危険である。しかし事実は事実であって、時にはこれを隠すことが出来ない。
12月24日(土) 晴
クリスマスイブである。全世界に散在する友人のために祈った。老境に入ってクリスマスの愉楽を忘れる。しかし生れたキリストではなくて、生きているキリストを思って心は熱する。
かつて生きて居られた彼ではない。今生きて働いておられる彼である。彼が我が喜び、我が望みである。聖書講堂の改築が今日全く終わり、大きな感謝である。これが神からの今年のクリスマスプレゼントである。外苑大講堂以上の贈物である。
12月25日(日) 晴
諒闇(りょうあん)明けの今年最後の聖日であった。柏木聖書講堂において、午前と午後と二組に分けて集会を開いた。合わせて400人余りの会衆があった。ホーム気分がして却て幸福であった。
◎ 北海道のある老姉妹からの通信に言う、「今クリスマス祝日に恩師に感謝の意を表し、神を讃美するために、町内歳暮救済に洩れた哀れな婦人にいささか、米5升、また老媼に古着1枚を内村先生の御名によって贈与いたします」と。ありがたい贈物である。
12月26日(月) 晴
諒闇明けのクリスマス祭日である。日本もとうとう「キリスト教国」になってしまって、今日東京全市がクリスマスを祝しつつある。伝道も何もあったものでない。お祭りが日本をキリスト教化しつつある。
このようにして欧米諸国もキリスト教化されたのであろう。「キリスト教のお祭り化」である。預言者や使徒たちが聞いたら、泣きかつ怒るであろう。今から遠からずして、日本においても西洋諸国におけるように、無神論を唱え、キリスト教に背くのが真理に最も忠実な途(みち)となるであろう。
Paganization of Christianity キリスト教の偶像教化、こんな歎くべき事はない。そしてこれを許すだけでなく、却て得意とする教会は、真のキリスト教の大敵である。
12月27日(火) 晴
書籍を1頁読むことも出来ないほど多忙であった。日曜学校生徒のクリスマスがあった。罪のない歓楽の
つどいであった。
◎ 私たちの聖書研究会を無教会主義宣伝のための運動と見る宣教師ならびに牧師が多いのに驚く。彼等は、宗派心を離れた純真理の研究は有り得ない事と思っているようである。
たとえ宗派心が絶対的に無い人はいないとしても、その方面をのみ高調して、他の方面を覆ってしまうのは、決して愛の道でない。私たちがそのように言っても、彼等がその主張を改めないのは確かである。私たちは神に自分たちの心を見ていただく事と、未来に私たちを審判(さば)かせるより他に途がない。
12月28日(水) 晴
こう言うことを思わせられる。ローマ天主教はどんな教えであっても、特に実行の教である事は確かである。これに反していわゆるプロテスタント教は、特に言葉の教である。天主教は隠れて善を為すのに対して、プロテスタント教は宣伝攻撃が到らない所はない。
言葉、言葉、言葉、それがプロテスタント教である。それだから天主教も厭であるし、プロテスタント教も厭である。私の理想は、両者の長所を取ったものである。即ち、
プロテスタント教の信仰を天主教的に静かに行うものである。
◎ 聖書之研究誌1月号の校正を終った。多忙な時期なので、ずいぶんの努力であった。ディンスモア著「ダンテ伝」を覗くことが出来た。ダンテの欠点の一節を読んで、大いに慰められた。彼にもこの欠点があったかと思って、大いに安心した。
彼が今日生きていたならば、彼はどんなに社会や教会に攻撃されたであろう。彼は決して聖人でなかった。故に貴いのである。彼を「詩聖」と呼んで、完全な聖人だと見做すのは、大きな間違いである。大きな自己矛盾は、天才の特徴である。 Because I am large (我は広且(かつ)大なればなり)と詩人ホイットマンは言った。
12月29日(木) 晴
主婦と共に市内に行って、今年最後の俗事を済ませた。これで私たちのクリスマスが来たのである。午後は満州の大賀一郎君が、近頃授かった理学博士の証書を見せに来た。大いに君のために祝した。
夜は女史連の訪問があった。多くの事を談じて腹を抱えて笑った。甥(おい)の岡田八郎は札幌に新家庭を訪問し、孫娘に迎えられた様子をこまごまと書いて来た。それだけは羨ましかった。用事が済んで肩の荷が下りて、笑い声が自ずと揚がる。楽しい年の暮である。
12月30日(金) 晴
俗事が一先ず片付き、大分にペンが動いた。和文も英文も書けた。聖(きよ)い仕事を妨げる者は俗事である。これさえなければ神に頼る人生は天国である。忌むべき憎むべきは俗事である。
12月31日(土) 晴
ここに昭和2年(1927年)を送る。文久元年(1861年)に生れてから第66回の除夜である。身体も年齢の割に健康である。諸勘定も悉(ことごと)く払えて、1銭も負う所はない。
働こうと思うアンビションは、勃々(ぼつぼつ)として湧いて尽きない。知識欲も盛んである。今日は少し地質学の歴史を復習した。ただ孫娘が離れているので淋しい。来年は余事を減じて聖書研究を増そうと思う。
ついこの世の事に携わって、余計な苦しみを買う。人に釣り出される。担(かつ)がれる。そして負わなくてもよい責任を負わされる。そして怒れば信者らしくないと言われて責められる。
この世の子等は賢い。彼等に成るべく接しないのが上策である。しかし全てが感謝である。彼等以上に賢い神様が守って下さる。故に騙されながらも大体において成功する。私のような者は、この奸悪な世に在って、信仰で勝つより他に勝つ途(みち)はない。ハレルヤ、アーメン。
(以下次回に続く)