全集第35巻P278〜
(日記No.332 1928年(昭和3年) 68歳)
1月28日(土) 雨
我が聖書研究会会員の一人、東京女子大学学生の吉原ヒロ子は今日永眠し、その父から次の電報を受取った。
主の前で再(ま)た皆んなと会いましょうと家族に語り、医師・看護師に至るまで握手、サヨナラと挨拶し、苦悶の内から更にハレルヤの言葉を残し、今最後の眠りに入りました。午後5時15分。𠮷原
これは死ではない。眠りでもない。良い国を目指しての旅立ちである。このようにして20歳の短命は、100歳の長寿よりも遥かに貴い。これを名付けて恩恵の死と言う。キリストに導かれて光の国に渡ったからである。私たちも彼女の声に合わせてハレルヤと叫ぶ。
1月29日(日) 半晴
泥道にも関わらず、午前と午後と合せて、前回同様400人の聴講者があった。午後の青年の組が殊に盛んであった。午前は「波上の歩行」と題し、マタイ伝14章22〜33節を、午後は「理想と実際」の題の下にイザヤ書2章から6章までの大意第1回を語った。
愛国者として見たイザヤを紹介するのは非常に愉快であった。今日の教会では、預言と愛国とを語らないので、これを自分特有の領分として説くことが出来て安心かつ満足である。時に思う、もし旧約の預言者だけを説くならば、教会に就て語る必要がなくて、さぞかし良いであろうと。高尚な武士道を説くようであって、爽快限りない。
1月30日(月) 半晴
疲労ボンヤリの月曜日であった。日曜日に余りに多くの人に会うので、月曜日には誰にも会いたくない。ただ独りで居て、この世以外、人間以外の事に就て考えたい。太古のバビロン史、パウロの来世観等に注意を引かれる。
1月31日(火) 晴
ここにまた今年の第一月を終る。晦日(みそか)であって、人は「掛け取り」で多忙である。同胞から「取れるだけ取ってやれ」と言うのである。鬼のような人たちである。人生の目的は金を得ることにありと教えた人は誰か。日本の将来が案じられる。
近い将来が案じられる。
◎ 米国オレゴン州ポートランド在住の某君からの新年書状によれば、君は今から24、25年前に九州某地において「聖書之研究」を手にし、それが機会となってキリスト信者に成り、後に渡米して、かの地のメソジスト教会に入り、今はその有力な信者として沿岸到る所に伝道しつつあるとの事である。
同君のような人が他にも多くいることを私は知っている。ところが私を教会の破壊者と見做し、「聖書之研究」の購読を禁じる教会の監督、牧師、長老たちが少なからずいると聞いて、私はその理由を知るのに苦しむ。
私は私の方から教会の人たちには、なるべく研究誌を読まないように勧めている。また教会の人が、私の集会に来ないように、全ての手段を講じている。
しかしながら、私たちの努力が空しくて、時に彼等が私たちの感化に触れるような場合があれば、彼等になるべく彼等が所属している教会に忠実であるように勧めている。こう言っても、私は教会者に親愛にしてもらいたいのではない。
けれども「名誉のある所には名誉あれ」である(ロマ書13章7節)。私は無教会信者であるが、日本人であるので、全ての人を敬う心を以て、教会の人をも敬う積りである。
2月1日(水) 晴
寒い日であった。校正が始まった。南米ブラジル国の地理歴史を読んだ。まだ広い国が残っている。地球はまだ若い。人工増殖を心配するに及ばない。他にシベリヤもある。カナダもある。希望を以て安心して発展を計るべきである。
2月2日(木) 曇
両雑誌の校正日である。英文雑誌は今月限りと思えば、行き先が見えて楽しい。今日の日本に「困っている人」、即ち金銭的に行き詰っている人が多いのに驚く。こんな人がと思う人までが、負債に苦しんでいると聞いて、びっくりする。
これでは社会がその根底から崩れつつあるのは無理でない。日本人全体の不信が、彼等をここに至らせたのであると思う。敢て富裕と言わなくても、負債に苦しむ必要はない。
「
汝は多くの人に貸す事を得べし、然れど借る事あらじ」(申命記15章6節)とは、神を信じる者に彼が約束された祝福である。負債に苦しむのは滅亡の前兆である。最も警戒すべき事である。
2月3日(金) 半晴
校正と原稿書きで全日を終った。聖書を手にして書くべき事は尽きない。世は普通選挙で騒がしいが、我が家は太古のように静かである。何も愛国心が無いからでない。愛国の方向が違うのである。
神と自由と永生とを知らない国民の選択は無効であると思うからである。何もケチを付けるのではないが、普通選挙もまた今日の日本においては失敗に終わるであろう。文明の基礎を作らないで文明を植えようとした結果が、ここに至ったのである。
2月4日(土) 晴
寒明けの立春である。まことに楽な寒中であった。信仰を離れた商人・実業家で、恥ずかしい事業の失敗を重ねる者が続々と有るのを見て、信仰が単に霊魂の事ではない事を、つくづくと感じさせられる。
私が見る所によれば、長引く我が国の財界不振の原因は道徳的であって、経済的でない。これは多分日本人の霊魂を改造するまでは、取除くことの出来ない不幸事であろう。何もかも経済と言って来た日本人全体の心的状態が、彼等をここに至らせたのであろう。
罪はもちろん明治時代の政治家にある。そしてまた彼等を偽りの道に誘った学者に在る。「
預言者は偽はりて預言し、祭司は彼等の手によりて治め、我民は斯かる事を愛す」とエレミヤが言ったのは、このような事を言ったのであろう。
2月5日(日) 晴
午前午後共に200人余りの聴衆があった。講堂がまたまた狭隘を告げ、困ったものである。午前は「人生の最大問題」と題してルカ伝16章19節以下により、「イエスの死後生命観」の第1回を講じた。午後はイザヤ書第2章の大略を「実際のユダとエルサレム」の題の下に話した。
両回共にやや満足な講演であった。講演を終えて後は、頭がボンヤリしてしまうほどに疲れる。しかし問題が問題であるから、直に元気に復する。世には衆議院議員に成りたいと、その勢力を消費する人たちが沢山いる。彼等に比べて見て、私の方が遥かに賢いと思う。
2月6日(月) 雪
訪問者は一人もなかった。独りで静かに両雑誌の校正を終った。講演は400〜500人に語るため、雑誌は4、5千人に語るためである。昨日は脳を使い、今日は眼を使った。
福音のためである。疲労を厭わない。ところが余りに宗教だけを多く説いて、倦怠を感じる。故に校正を終えて後にニシンとタラとに就て読んだ。健全な変化であった。
2月7日(火) 晴
雪晴れの好天気であった。宗教を忘れようとして、考古学と魚類学とを読んだ。このような健全な趣味を与えられた事を感謝する。
2月8日(水) 晴
北風が寒い。英文雑誌の校正を終った。肩から大きな重荷が下り、新たに自由が臨んだように感じた。珍しく魚類学書を取り出し、ヤツメウナギならびに
めくらウナギに就て読んだ。
下等動物ではあるが、世界的大学者がその研究に没頭した跡を尋ねて、造化は何処を探っても真理が無尽蔵であることに驚いた。
夜は20年間カリフォルニア州バークレーに在住した旧い信仰の友である信州小諸町の佐野寿君の訪問を受け、一別以来有った事に就て語り合って楽しい時を過ごした。変らない友は幾年経っても変らない。こうして天国まで同行するのであろう。
2月9日(木) 晴
詩篇55篇を以てこの日を始めた。その12〜14節が自分の言葉のように感じられた。詩篇全部が信者の言葉である。良きにつけ悪しきにつけ、信者の経験する事は悉(ことごと)くその中に言い表されているように見える。
◎ 好天気を利用し、丸善書店に行き、J・E・カーペンター著「ヨハネ書類」一名「黙示録ならびに第四福音書の研究」他1書を購入した。このような書籍が、宗教書店ではない丸善において得られるから不思議である。魚類学書類を求めようとして行って、神学書を得て帰った次第である。
(以下次回に続く)