全集第35巻P287〜
(日記No.334 1928年(昭和3年) 68歳)
2月21日(火) 晴
選挙の結果を知ろうとして、人々は緊張している。「投票箱から正義は生れない」とカーライルが言ったが、その通りである。投票の結果はどうであろうとも、日本がその為に善くならない事は確かである。私に取っては一人の少女を天国に送る方が、大政治家を議会に送るよりも遥かに興味が多い。
◎ 札幌通信に言う、
正(まー)ちゃんは、誰も教えないのに、ねえや(女中)のことはネエヤサンと言い、決して威張った口はきかず、下から出て頼んでおります。御飯の前には丁寧におじぎをしてアーメンと申します云々
と。これは好い兆候である。アーメンと言うのは信仰である。女中を敬うのは行為(おこない)である。アーメンを口に唱えながら下の者を労(いた)わらない者は、キリスト信者ではない。また我が子でも孫でもない。
2月22日(水) 晴
井戸の改築を行った。温泉に二三日遊ぶぐらいの代価で、我が家に在って地下の清水を飲めるようになった。大快楽の一である。民数記略21章17節を思い出さざるを得ない。
時にイスラエル此(この)歌を歌へり曰く「井(いど)の水よ湧きあがれ、汝等之が為に歌へよ」と。
職人共が良く働くのに感心した。
2月23日(木) 晴
近頃は毎日家中総がかりで、英文雑誌の前金の残りを読者に返送しつつある。随分面倒である。しかし研究誌廃刊の時の下稽古として甚だ有益である。
28年来読者払い込みの前金は神聖に保存してあるから、廃刊の時に何人にも損害を掛けない積りである。願わくは立派にこれを終ることをとは日々の祈りである。
2月24日(金) 晴
総選挙は終った。しかし事は決まらない。それどころか、反って悪化した。今から後は勢力伯仲する二大政党の競争軋轢で、日本国民は苦しまなければならない。しかしどうなっても私たちは動かない積りである。私たちの安定の基礎は、政府または教会にはない。世に同情はするが、平安の源を彼等に求めない。
2月25日(土)
ある工場に働いている、ある読者が「豆がら雑誌という方に」と題して、次の平民歌を送ってくれた。
一、 まめがら雑誌と言へば言へ
わたしゃからでも棄てられぬ
からで血となり肉となる
そんな雑誌がどこにある。
二、 まめがら雑誌で太るのは
犬や豚かの類なりと
いふ人々はいはしゃんせ。
わたしゃ豚です犬けむし
なんのとりえもなき者なれば
お米の御飯はもったいない。
まめがらなりともあさります。
三、 飢えたる者は藁(わら)しべさへも
おいしいおいしいとたべられる。
神のめぐみを何とせう。
かしこい人の言ふことに
耳をかさずに歩みませう。
我がはらからよ兄弟よ
天国さして参りませう。
エス様血潮を信じつつ。
実にも貴いこの雑誌
汝の成長祈るぞや。
これはまことに貴い同情である。こんな同情のある間は「豆ガラ雑誌」は廃(や)められない。
2月26日(日) 晴
集会に変りなし。ただし午後は平常より大分淋しかった。しかし静かな研究には頃合であった。午前は「永世の基礎」と題し、ルカ伝20章37、38節を講じた。近代哲学が漸くさっとイエスの永世観に達したと説いた。私としては甚だ満足な解釈を主のこの言葉に与えたと思った。
午後は「潔(きよ)められたエルサレム」と題して、イザヤ書第4章を説明した。多く聖書を知らない若い人たちに、この説明をするのは随分難しかった。いずれにしても骨の折れる真剣な仕事である。
政党の人たちが菰被(こもかぶり)何十樽、ビール何千本を飲んで選挙における勝利を祝したと言うのとは、全く性質を異にする仕事であった。神の御目の前に、人に限りない生命を与えようとする仕事である。故にこれをして後にガッカリ疲れるのは無理はない。しかし祝福された仕事である。
2月27日(月) 晴
多くの面白い書面に接する。太平洋上において認(したた)められたある若い船員からの音信に言う、
今私は北太平洋を東に向かいつつあります。非常に寒いです。風は激しく、波は山のようです。しかし私の魂は深く救主に錨を下して動きません。感謝の歌は常に唇に上ります。暗い夜の当直に立って、北の烈風に讃美の歌を太平洋に吹き散らします。
何も見るもののない生活ですが、晴れた夜の空は、何と美(うる)わしく、壮大でありましょう。オリオン星座は慰め強めます。シリヤスとキャペラは青く輝いて希望を与えてくれます。全て主に在って、可(よ)からざるはなしであります。
まことに勇ましい生涯である。「海よ海よ我を広くせよ」である。陸に在って小競り合いをし、同胞相攻めるのに比して、何と幸福な生涯ではないか。世界は広い。小さな島帝国に寿司漬(すしづ)けになって押し潰される必要はない。
広い広い神の国に行く前に、広い世界がある。有難い事である。三首が浮かんだ。
上は空、下は際(はて)なき太平洋
カナダの原野指して我れ往く。
オリオンの帯に引かるゝシリヤスを
目標(しるべ)に渡る暗黒の淵(わだ)
アラスカやアリュート島を吹捲(ふきま)くる
風に船舷(ふなばた)打たせつゝ進む。
2月28日(火) 晴
久し振りに詩篇第71篇を読んだ。有難涙を禁じ得なかった。これは老人の祈祷の歌である。青年時代に読んだ時に有難味を感じなかったが、今日これを読んで、一言一句悉(ことごと)く我が言でないものは無い。殊に第18節など、私の今日の祈祷である。
神よ願くは我れ老いて頭髪白くなるとも我を離れ給ふ勿れ。
我が汝の力を次代(つぎのよ)に宣伝(のべつた)へ、汝の大能を世に生れ出る凡(すべて)の者に宣伝ふるまで、我を離れ給ふ勿れ。
信者に取っては、長命は神に奉仕するために望ましい。私には尚(なお)宣伝(のべつた)えるべき多くの福音があるので、その御事(みしごと)を終るまで、私をこの世に残して下さいと祈るまでである。
2月29日(水) 半晴
英文雑誌廃刊により、寛(くつろ)ぐこと甚だしく、毎日少しずつの暇を得て、オランダ領東インドの地理を読みつつある。実に広大な領土である。本国の60倍である。スマトラ一島だけで日本よりも大きく、九州や四国ぐらいの島嶼(とうしょ)は幾つでもある。実に南洋の楽天地である。
どのようにしてこれを開発すべきかは、世界の問題として存(のこ)っている。平和の方法を以てすれば、日本人がこれに携わり得ないとも限らない。いずれにしても地球はまだ若い。失望するに及ばない。
3月1日(木) 半晴
Y・T君対N・Kさんの結婚式を行った。私が行った第36回目の結婚式であった。第1回に成った家庭に生まれた男子は、今年大学に入るとの事である。
式の事には最も不得手な私にとり、甚だ苦しい勤めであるが、ある場合にはこれを辞することが出来ない。徹頭徹尾アルコールを一滴も用いない結婚式であった。
3月2日(金) 雨
静かな休息の一日であった。この二三日来「キリスト教の中心点」について考えた。それは「ロマ書の研究」において述べたように、ロマ書3章から8章の間になければならないと信じる。自分をそこに置いて聖書を見て、すべてが明瞭になる。
キリスト教は何であっても、律法または規則または教理または儀文でない。
信仰を以て受けるべき神の恩恵である。もし他人に私の立場を弁護させようとするならば、私はパウロ、アウグスチヌス、ルーテルを引き合いに出すまでである。
もし古(いにしえ)の日本人の中に自分の同信の友を見出そうとするならば、私は恵心、法然、親鸞を指名するのに躊躇(ちゅうちょ)しない。
一言で言うならば、私の信仰は「自分がどんな悪人であるにもせよ、信じれば―――そう、
ただ信じることによって救われる」という信仰である。故に今日の欧米渡来のキリスト教とは、大分趣を異にすることを認めざるを得ない。
(以下次回に続く)