全集第35巻P447〜
(日記No.371 1929年(昭和4年) 69歳)
5月3日(金) 雨
休養の床に就きながら、活ける主キリストが居られることに気付き、大きな慰安また奨励であった。彼が居られるのだから、私の病は何でもない。如何なる名医の名薬も彼の癒しの能力に及ばない。
また私の存在の理由も、この能力を信じ、これを人に伝えることにあるのだから、彼が若しなおも私の奉仕を要されるならば、私の全癒は確実である。
幾回か忘れ、幾回か思い出すのは、キリスト現存の事実である。復活して今なお信者と共に居られる彼をはっきりと認める時に、私は新しい人と成るのを覚える。
5月4日(土) 雨
寒い湿っぽい日であった。好い休養を得た。浮腫が全身から減じて行くのを見るのが何よりの楽しみである。いわゆる健康のブレークダウン(破損)である。私の生涯において、今日までに既に六七回あった事である。
ところが神の御恵みにより、いずれも無事に切り抜ける事が出来た。多分今度もまた切抜けることが出来るであろう。別にこの上長寿を望むわけではないが、世の悩む者のために、これからも神の恩恵の福音を説きたいと思う。
5月5日(日) 晴
寒い日であった。引続き休講し、高壇は塚本を主任とし、その他の同志に委ねた。来会者は午前は162人、午後は165人であって、平常と少しも異ならず、私の休講は会の動静(どうせい)に少しも変化がないのを見て喜んだ。
「内村でなくてはならぬ」と言うような人には来てもらいたくない。内村が説いた福音ならば、誰が説いても聞きたいと言う人に限り来てもらいたい。そしてその福音を説く人が既に多数出来たのと、これを聞こうと思う者が数多あることを知って、感謝に堪えない。
5月6日(月) 晴
帝大教授某の若い細君で、按摩術を覚えた者がわざわざ来て、これを私の全身に施してくれ、好結果を得て有難かった。彼女は言った、「私は人の家に嫁して、この術を施すべき舅や姑がなく、今幸いにして老先生に施して感謝であります」と。
私はこの言葉を聞いて、胸の中が涙で一杯になった。何だか昭和の日本に生きているのではないと思った。キリストの福音に孝道なしと誰が言うのか。これはマリアが高価な香油でイエスの足を塗ったのに等しい謙遜ではないか。
5月7日(火) 雨
休む事の他何もしなかった。長い年月の間高壇に立って疲れた箇所は、足と腰とである。そして全身に休養を宣告して、先ず第一に休息を申し出る部分は下肢である。
彼等は全身を支えて今日に至ったが、その功労は脳と心臓とに奪われて、自身は有って無いに等しい者であるかのように扱われて来たのである。彼等に対し同情に堪えない。あたかも家の主婦のような者である。重い責任は独りで担い、名誉はこれを主人に譲る。
今に至って知る。最も労(いた)わるべき部分は下肢である。腰と腿(もも)と脛(すね)と足とである。そして私の場合において、彼等は完全な休息を要求しつつある。当然至極な要求である。
休めよ我が腰よ、我が足よ。私は長い間、汝等を虐待して来たことを悔いる。割の悪い地位を「縁の下の力持ち」と言うが、足がそれである。貴い頌(ほ)むべき足よ。
5月8日(水) 曇
病を治そうと思うと気が急(せ)いて治らない。治らなくてもこのままで可(よ)いと想えば、心が安らかになって反って治療を助ける。私の年輩で私よりも重態な者が数多いる。彼等に比べて私は甚だ幸福な者である。
何事も感謝しなければならない。「
我れ如何なる状(さま)に居るもそれを以て足れりとする事を学べり」(ピリピ書4章11節)とパウロは言った。私もまた今日の健康状態で足れりとしなければならない。
5月9日(木) 曇
久し振りにキリスト再臨の信仰の光を以て聖書を読み、時の移るのを知らなかった。ロマ書8章19節以下、ピリピ書3章20、21節、コロサイ書3章3、4節、ヘブル書9章27、28節いずれも何と希望に溢れる言葉でないか。これが無ければ、聖書は神の言葉でない。
これがあるからこそ、私たちは全てのものを捨て、聖書に縋(すが)るのである。キリストの再臨はユダヤ思想であって、これを除いてキリスト教が残るのであると言う人たちは、聖書の教えをその真髄において味わったことのない人たちである。
昔の大聖書学者たちは、たいていは熱心な再臨信者であった。今私の机の上に、次の注解書が横たわる。
フランツ・デリッチ著ヘブル書注解
ジョン・フォーブス著ロマ書注解
E・H・ギフォード著ロマ書注解
監督ライトフート著コロサイ書注解
その他幾らでもある。現代の米独神学者たちの著書に目を注ぐ必要は少しもない。信仰の無い知識は聖書研究に害があって益がない。
5月10日(金) 雨
雑誌5月号を発送した。この義務だけでも果たすことが出来て感謝である。今日もまた聖書の研究によって好い休みを得た。ヘブル書11章13〜16節を研究した。
アブラハムは実に信者の始祖である。彼の一生が信仰の一生であった。
信仰によって家郷を出て、
信仰によって約束の地に入ったけれども、これを自己の所有とすることを出来ずに、神がこれをその遠い子孫に与えて下さる時を待った。
信仰によって一子が生れるのを待ち、
信仰によってこれを献(ささ)げた。
信仰また信仰である。「
地に在りては自(みず)から賓旅(ひんりょ=旅人)なり寄寓者なりと言へり」とあって、全生涯にわたって地上に自分の家郷なるものを得なかった。
そしてクリスチャンの生涯もまた、アブラハムのそれと等しく信仰の生涯でなければならない。「我等の国は天に在り」であって、地上に我が国、我が家なるものは、あってはならないはずである。
この地に安泰の家を得て、百年の生涯を最大限度に楽しもうとする現代式米国流のキリスト教は、聖書の教とはその根本を異にする者である。
5月11日(土) 半晴
北海道大学農学部における「内村奨学資金」の今年の受領者は、農業生物学科入学の柳原正君であると、大学ならびに御本人から通知があって、例年の通り嬉しかった。
大正9年に始まり今年に至るまで、既に10人である。内大正12年の受領者小山一郎君が死亡して、残る9人が有力な研究者として働いている。一同は「札幌内村会」の会員であって、私の名誉はこの上ない。
「内村全集」発行から受けた初めの千円がこの事を為したのであって、全集は既に廃刊したが、この小さな捧げものは毎年この喜びを私ならびに家族一同に与えつつある。
5月12日(日) 半晴
引続き休講した。その結果として、身体の具合はだんだん良くなっている。出席者308人、高壇は大島文学博士(正健)、鈴木俊郎君ならびに塚本によって占領された。
内村の講壇ではなくて古い聖書の福音が説かれる所であることが、いよいよ明白になって感謝である。もし私の休講によって、忌むべき内村崇拝者が一人でも退いてくれるならば、幸福この上なしである。
◎ 近代医学の大欠点は、病を発見する術に長じていても、その大部分を癒す途を有していない事にある。病人に取っては、病を示されて、これを癒してもらえないことほど辛い事はない。癒やす途がないと言うならば、病を示されない方が良い。
癒やせない病を指摘して、近代医学は人に徒に恐怖を懐かせて、病の増進を助けつつあると思う。恐怖は毒素を生じ、病の上にさらに病を起す。
しかし、医学に限らない。政治、宗教、経済学等、ことごとく同じである。病を知ってこれを癒す術を知らないとは、人事の全般にわたる悲しむべき事実である。私たち信仰を説く者は、除去できない罪を摘発してはならない。
5月13日(月) 晴
安静の途を得るのに苦しむ。肉類を食っては
ならない。人に会っては
ならない。気を苛立(いらだ)たせては
ならない。
ならぬ攻めである。ほとんど生きていては
ならないと言うのと同然である。
そうまでして生きなければ
ならないと思うと可笑(おか)しくなる。夜に入ってプラトンの「レパブリック」におけるソクラテスの対話を読んで、会心の笑いを禁じ得なかった。これを総理大臣初め、貴衆両院の議員方に読んで聞かせて上げたくなった。
政治家であることが余りに馬鹿げ切って、彼等が総辞職を申し出るに至りはしまいかと思った。我が新渡戸博士に勧める、第7書492節以下を彼等に講じてやったらどうか! 実にカーライル以上の深いユーモアである。痛快と言うよりむしろ涙が出る。
(以下次回に続く)