狭隘の利益
明治35年9月20日
筆記者黒木生申す。これは、前号に載せられたものと同じく、ごく大略の講演筆記
であり、文字上の責任は一に筆記者の手にある。ただし、山県先生の分は、先生の
手稿に接することができたので、やや精密にすることができた。
内村生申す。黒木君は、原意を汲み取ることに巧みで、君の筆記は、よく要を尽し、粋を
写す。読者諸君がこれによって、講師の真意を誤りなく会得できることは、私が慎んで
ここに保証する。
今読んだ申命記7章1節から11節までに書き記してあることは、旧約聖書中に多く見る教えである。ユダヤ人は、特に神から選び出された聖民なので、諸種の隣民族と交際してはならない。もしその教えに背くならば、たちまち天罰が下るという。
これを、四海兄弟の観念から読めば、いかにも狭苦しい窮屈な思想であるとしか思えない。ユダヤ人の歴史は、一種狭隘の歴史、孤立の歴史と称して差し支えない。新約聖書中のコリント後書6章17節なども、旧約聖書から引き出された思想であって、キリスト信者に適用されるべき教訓である。
教会を意味するギリシャ語の ecclesia は、ec=out、cle=callで、即ちこの世から呼び出された団体という意義である。その他、Congregation, Separate, Saint などの原義を探ると、私達はほとんど同様の教訓を発見することができる。
旧約新約いずれから見ても、ユダヤ人、キリスト信者は、元々特別に造られた者であって、ユダヤ教、キリスト教は、ある点から言って、狭隘な宗教と言わなければならない。
神はかつて、アブラハムにカルデアを離れよと命令された。モーセ、エレミヤ、イザヤ等も、選ばれたユダヤの民の中から、さらに精選されて、神の特別の感化を受けた人々であった。
歴史をひもといてみると、かのギリシャ人は、世界的な国民であった。諸種の民族と相混交して、なるべく外部に広がろうと欲した国民であった。
ユダヤ人は全くこれに反して、自己を守ることに力を尽くした民族であった。彼等は、広量の民と狭隘の民との一幅対である。ユダヤ人よ、君の民はギリシャの民と反対せざるを得ないと言って、ギリシャ主義を排斥したのは、預言者ゼカリヤであった。(ゼカリヤ書9章13節)。
しかしながら、狭隘と言うと、いかにも不愉快な、面白くない言葉である。広量海の如しとは、東洋人が豪傑を称揚する賛辞である。
キリスト教は世界的である、包括的であると説かれて、私達に嬉しい気持が起こらないことはない。ユニテリアンが歓迎されるのも、一つには広く門戸を開放して、善を慕い義を求める者は、誰でも来なさいと叫んでいるからのことである。狭隘という文字が、今日の人心を感服させるものでないことは、私達はよく承知している。
しかし、よくよく研究してみれば、神はノアの一族だけを救って、多くの人々を救わなかった。モーセ、アブラハム等は、みな狭隘の歴史を踏んだ人々であった。
ソロモンは、学者であった。彼はおそらく、エジプト、ギリシャ、インド等の思想に通じていたであろう。しかし彼は、エジプトやフェニキヤから愛妾をかり集めた不道徳の行為をやった。大風呂敷の結果は、いつも大堕落である。ユダヤの王で堕落しなかった者は、みなことごとく孤立主義を堅く守った人々に限られたことは、明白な事実である。
下ってキリスト教となっても、世間と和合して広く門扉(もんぴ)を開いた時は、いつもその大堕落の時であった。キリスト教会の歴史を調べてみれば、これらは明々白々な事実である。
新島君の失敗も、やはりこの点にあった。明治二十三年、二十五六年頃の同志社の状況は、特に私達にとっての最も良い殷鑑(いんかん
:戒めとすべき他人の失敗の例)と言わなければならない。
今日の堕落信者を見てみなさい。彼等はみな新神学とやらを唱えて、三位一体を嘲り、贖罪の教理を罵った人々である。狭隘を嫌った名のある信者で、キリスト的特性を失った者は、その数が決して少なくないのである。
広く交われば大平和が来るという思想は、大間違いである。味を失った塩とは、広く世間と交わったキリスト信者の成れの果てを形容するのに最もよく適合した言葉である。
一種の狭隘は、キリスト教の特性として、私達が堅く守らなければならないものである。ジョンソンはかつて、I love good haters. と言った。hate 即ち憎むという語は、あまり良い語とは言われないが、しかし伊藤侯も古河市兵衛氏も、自分の友人だと言う人は、決して私達が尊敬信用すべき人物ではない。
私達は、この点においてまた、日本人と西洋人との気質を比較することができる。好き嫌いの甚だしいのは、西洋人である。彼等は、嫌いな人とは決して交際しない。それで、かの国においては、友人からの添書なるものは、すこぶる勢力のあるものとなっている。私達は西洋人の添書なるものによって、その友である他の西洋人と、一見旧知のように、握手快談することができるのである。
しかし、日本においてはそうでない。日本人は、誰をも自己の友人とする。友誼上における日本人の態度は、甚だ曖昧であると言わなければならない。
今ここに一人の友人がいて、その友人が私に不信極まる行いをなしたために、私がその友人と絶交したとしても、第三の人(即ち両者の友人)は、相変わらず両者の友人となっている。
そのような場合、両者が第三者を疑うようになるのは、自然な人情である。しかし、この第三の人は、日本においては特に珍しくはない人物であって、ある人々は反ってその人が広量であることに感服している傾きがあるのではないか。
しかしながら、そのような者は、決して私達が信を置くべき人物ではない。誰とでも、例えば鼠小僧とでも石川五右衛門とでも交際を開く人は、実は自己の交際を止めようとする人である。明白に厳重に交際上の区別を立てている人は、信用ある人物であって、これは実に敵人であっても、ことごとく腹心を談じようとする人物である。
キリスト教は、一種特別の宗教である。儒教仏教も同じく真理であるから、共に手を携えて、交わって行こうというのは、いかにも美しい、クリスチャンの態度のようである。
しかしながら、婦人のようなヘンリー・マルチン(
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Martyn )も、キリスト以外に救主がいると言われた時には、起って大抵抗を試みた。私は、マルチンの挙動を正しいと考え、大いにその勇気を敬慕せざるを得ない。
諸君がもし、漠然とした考えを広いとするなら、それは間違いである。それは広く見えるだけで、実際に広いのではない。頑固に自説を守る者は、最も貴ぶべき信者である。信頼するに足る人物である。
ある人の書簡中に、「
真理は中庸にありと言うが、真理は実は極端にある」という一文があったが、甚だ善い言葉であると思う。狭隘とか極端という語に辟易する者は、あくまでも義に勇むのは義者の本領に非ずと信じる者である。
欧州十六七世紀の光明は、中世時代から山の中に引き籠った僧侶達が、キリストの真理を守り通した結果として来たものであった。イギリスやドイツが盛大になったのは、常に不義に向って、戦いを宣告した人々がいたからである。非狭隘主義が反って光明を消尽した例は、一々これを挙げるまでもない。
そう言うと、ある人は大いに喜んで、ヨシ、俺はその極端狭隘の手箒(てぼうき)で当たるを幸い、向こうの人をたたき落としてやろうと力むかも知れないが、しかし、そうなってはならない。
私達は、一人の人間として、かの古河市兵衛をも尊敬しなければならない。これは特にキリスト信者が忘れてはならないことである。しかしながら、彼と交際し、彼の金をもらい、彼と主義を同じくするべきではない。私達の主義、信仰を維持するについては、私達はあくまでも籠城的でなければならない。
アブラハムからキリストに至るまで、神がある人々の間に障壁をめぐらされたのには、大きな意味が有る。バイブルが今日に伝わり、預言者が続々と世に出たのは、決して偶然のことではないと信じる。
狭隘は、真正の世界主義に達する最良の手段である。私達は、狭隘を守って、世の誘惑に欺かれることなく、終に誰とでも一致することのできる時節が来る。人類全体と交わろうとする欲念があるから、私達はますます狭隘の利益を主張しなければならない。
世には、社会主義者が唱える財産平等説という説がある。平民主義という主義がある。しかし人々は、心の奥底において、一緒になるべきである。
ある点においては、隔(へだ)てがある方が反って良い。五十人が一団となって祈る時は、みな兄弟姉妹である。しかし、彼等が五十日間一緒にいれば、私達は必ず、彼等の中に喧嘩や口論が起こるのを見るであろう。
カーライルはこの点について、甚だしい狭隘家であった。彼は訪問者の多くを拒絶した。しかしながら、彼の友人エマーソンも、終に彼の真意を悟るに至った。真に人類を愛したのは、広量なエマーソンではなくて、反って狭量なカーライルであった。彼の外貌を見て、直ちに彼は薄情だと叫ぶ徒は、未だカーライルを知らない者である。
私は重ねて言う。
私が言う狭隘とは、深くて広くなるための狭隘であることを。諸君願わくは心の奥底において、人々と一致せよ。外形の異同にかかわって、その根を深くすることを忘れるのは、決して真正のクリスチャンが為すべき事ではないと思う。
完