「コリント前書第一章〜第三章」No.6
6.万物の所有者 コリント前書第3章16〜23節
16節 爾曹は神の殿(みや)にして、神の霊(みたま)爾曹の中に在(いま)
すことを知らざる乎。
17節 若し人、神の殿を毀(こぼ)たば、神彼を毀たん。蓋(そは)神の殿
(みや)は即ち爾曹なり。
18節 誰も自(みず)から欺く勿れ。爾曹の中に此世に於て智慧ありと意
(おも)ふ者あらば、智者とならん為に愚(おろか)になるべし。
19節 蓋(そは)この世の智慧は、神の前には愚かなればなり。聖書に神
は智者を其自分(みずから)の詭計(はかりごと)に因りて執(とら)へ給ふ、
20節 又主は智者の思念(おもい)を虚(むなし)きものと知り給ふと録
(しる)されたり。
21節 然れば誰も人に依りて誇る勿れ。そは万物は爾曹の物なればな
り。
22節 即ち、或はパウロ或はアポロ、或はケパ、或は世界、或は死、
或は今のもの、或は未来のもの、是れ皆な爾曹の属(もの)なり。
23節 而して爾曹はキリストの属、キリストは神の属なり。
◎ あなたたち人に付き、人によって党を立てる者よ、あなたたち自身は、どのような者であるか、あなたたちは知っているか。あなたたちは、神の宮であって、神の霊があなたたちの中におられることを、あなたたちは知らないのか。
あなたたちは、あなたたち自身の威厳を認めるか。即ちあなたたちはむしろ、人に仕えられるべき者であって、人に仕えるべき者ではないことを知っているか。あなたたちは、自分を卑しくして、神があなたたちにお与えになった特権を放棄するな。(16節)。
◎ あなたたちは、神の宮(naos)である。宮の中の至聖所(いときよきところ)である。神は、山に住んではおられない。また雲にお乗りにならない。金銀宝石をちりばめたエルサレムも、今は神の住んでおられる所ではない。
あなたたちが神の宮である。
あなたたちは、世の賎しい者、愚かな者、弱い者、世が見て塵芥(ちりあくた)とする者である。その
あなたたちが、天の神が住んでおられる聖殿なのである。
あなたたちは、このことを知っているか。あるいは今、私からこの事を聞かせられて、これを信じることができるか。しかし、これは事実である。神はあなたたちのような者の中に宿られることを、自ら善しとされた。
あなたたち、見なさい。私達は神の子と呼ばれるほどで、事実また神の子となることができたのである。これは、神が私達に与えられる、何と思いを超えた愛か。世は父を知らない。それで私達をも知らないのである(ヨハネ第一書3章1節)。
◎ あなたたちキリストに依って神を信じる者は、神の教会である。そして神はその霊によってあなたたちの中に宿られるのである。あなたたち各人の中に個々別々に宿られるだけでなく、特にあなたたち全体の中に、教会の首長として、その生命として宿られるのである。
あなたたちは、活きている石である。神はあなたたちを用いて霊の家を造って、その中に住まわれる(ペテロ前書2章5節)。あなたたちは、使徒と預言者の基礎の上に建てられた、神の宮である。イエス・キリストは、その首石(おやいし)となって、家全体が組み合わさって、彼の中に在るのである。これは、霊によって、神が住まわれる所となるためである(エペソ書2章末節)。
神によって結ばれた信徒の団体ほど、世に貴いものはない。神はそのような団体を造るために、その独子を世に降されたのである。教会は、実に神の身体である。
万物で万物を満たさせる者の満ちる所である(エペソ書1章末節)。
◎ あなたたちは、それほど貴い者であるから、あなたたちを毀(こわ)す者は、神の聖殿を毀す者であるから、神は彼を毀さずにはいないであろう。私達がもしあなたたちに誤謬を伝えるなら、私達は神の聖殿を汚すのである。私達がもしあなたたちの中に、紛争嫉妬の種をまくなら、私達は神の聖殿を毀すのである。
私達は、あなたたちのために働く神の職工である。私達は慎んで、神の聖殿であるあなたたちを破損しないように努めなければならない。ゆえにあなたたちは主であって、私達は従である。あなたたちは客であって、わたしたちは主である。仕えるべきなのは私達であって、あなたたちではない。あなたたちは何を苦しんで、私達に従属し、私達に依って党を立てようとするのか。(17節)。
◎ 私達は誰も、自らを欺くべきではない。もし私達の中に、この世において知恵があると思う人がいるなら、その人は真正の知者となるために、愚かになるべきである。知と思うのは愚である。愚と思うのは知である。私達が自己の暗愚を悟った時に、神は始めてその光明を私達に与えて下さるのである。
あなたたちは、主イエスがパリサイの人に告げられたことを記憶しているか。主は言われた。「
爾曹若しめしいならば罪なかるべし。然れど今我儕見ゆと言ひしに因りて爾曹の罪は存れり」と(ヨハネ伝9章末節)。
私パウロがそう言うのは、あなたたちの中に、自分を知者だと思い、あなたたちの中に紛争嫉妬の種をまく者がいることを知っているからである。あなたたちは、そのような人に注意して、彼等に欺かれないようにしなさい。なぜなら、彼等は自分を知者だと信じて、自己をさえ欺く者だからである(18節)。
◎ この世の知者は、神の前には愚かである。神は賢い者を、その自らの詭計(きけい)によって捕らえ、邪な者の謀計(ぼうけい)によって敗(やぶ)れさせるとヨブ記に記されている(5章13節)。また主は、知者の思いが虚しいものであることを知っておられると、詩篇第94篇(11節)にある。
神はこの世の知者と、その知恵とを、このように賎しめられる。実に、世に知者ほど危険な者はいない。彼等の建設は破壊である。彼等の成功は失敗である。策略家に導かれて、教会は奈落の底に沈むのである。俗知に長けた牧師に養われて、信徒は悪魔の手に渡される。
恐るべきは、この世の知者である。国を亡ぼす者は、彼である。教会を毀す者は、彼である。信徒の身と霊魂とを滅ぼす者は、彼である。実にそうである。知者に注意しなさい。彼を退けなさい。彼を遠ざけなさい。彼に近づくな。
その通りである。知者! 正義公道の外に処世の術があると信じる者! 私は重ねて言う。愚者であって、あなたたちを滅ぼす者であるこの世の知者に注意しなさい(19、20節)。
◎ 人とはそのような者だから、知者とは実は愚人だから、そして私達はみな、神の職工であるから、あなたたち神に愛され、神の聖殿となって、神が宿られる所となった者よ、あなたたちは誰も、人によって誇るな。パウロによって誇るな。アポロによって誇るな。ケパによって誇るな。
私達は使徒だからといって、朽ちるべき人であり、生命の神ではない。人がもし誇ろうと思うなら、神によって誇るべきである。
福音はパウロによって伝えられたから特別に貴いのではない。福音は福音そのものによって貴いのである。パウロの福音というようなものはない。ペテロ(ケパ)の福音などはない。あなたたちは、神とキリストと、その福音とによって誇るべきである。キリストの僕で、その福音の宣伝者である私達弱い人によって誇ってはならない。(21節)。
◎
万物は、あなたたちの物である。なぜなら、あなたたちは神の教会であって、神の霊が宿られる身体だからである。万物の中で最も貴いものは人である。人の中で最も貴いものは、神に愛され、キリストによって救われたあなたたちである。
ゆえに万物が、その霊長である人の用をなすように、万物と全ての人とは、キリストの僕であるあなたたちの用をなすのである。キリスト信者は、実にそのように貴い者である。
「
万事は皆な爾曹の益となるなり」(コリント後書4章15節)。「
我儕は主に在りて、何も有たざるに似たれども、凡(すべ)ての物を有つなり」(同上6章10節)。宇宙万物は、あなたたちと私達のものである(21節)。
◎ 「
万物は爾曹の物なり」、もちろんあなたたちの私欲を満たすための物ではない。万物は、神が造られた物であって、元々神のものである。しかしあなたたちは神に愛されて、その子キリストによって、同じく神の子となることができて、神のものをあなたたちのものとすることができた。
父のものは、子のものである。神の子と称えられることができた私達は、万物を私達のものとすることができたのである。ああ神の愛は限りない。私達の特権は、私達の思いを超えている。しかもこの事は、私達のために自己を捨てたイエス・キリストによって事実となったのである。(21節)
◎ パウロもあなたたちのもの、アポロもあなたたちのもの。ケパ(ペテロ)もあなたたちのもの。即ち私達全ては、神が各人に与えられた恩恵(めぐみ)に従って、あなたたちを信じさせようと努める神の道具であって、あなたたちの用を為す者、即ちあなたたちのものである(3章5節参照)。
あなたたちは目的物であって、私達は神が目的物に達するために用いられる機械である。あなたたちは神の愛する子であり、私達は神に命じられてあなたたちを保育する乳母である。使徒である私達の名誉は、神のためにあなたたちに仕えることにある。
あなたたちの権威もまた大きいではないか。(22節)。
◎ 使徒である私達だけでなく、全世界もまたあなたたちの用をなすものであり、あなたたちのものである。その山も丘も、木も草も、野も林も、みなあなたたちのものである。
あなたたちは、貧しくて一寸の土地をも有していないと悲しむのか。悲しむべきではない。眼を揚げて、かの山を見よ。それを見て、神の能力(ちから)と恩恵(めぐみ)とを感じ、神を讃(たた)え、神の愛を悟る者は、全土は自分のものだと誇る王侯貴族ではなくて、寸地の畑をも有していないあなたたちである。
他人の畑に咲いても、野草は神が造ったものであり、自分がもしこれを見て神を讃え、彼を求めて彼に救われるならば、その畑は実は自分のものであって、他人のものではないのである。
貴族と富豪とは、山と野との物を取って、これを食らい、その胃を満たす。しかし、私達キリストを信じる者は、宇宙の霊を取り、それによって私達の霊を養って私達の父なる神に帰るのである。
物は彼等に属して、霊は私達に属す。そして霊は、物の精要なので、万物はその精要を消化する力を有する私達のものである。(22節)。
◎ 人も物もあなたたちのものである。それだけではない。生もあなたたちのもの、死もまたあなたたちのものである。生は、これによってあなたたちが神の業を行うためである。死は、これによってあなたたちの信仰を、世に向って証明するためである。
生を重んじなさい。そして死を軽んじてはなりません。ことに死を重んじなさい。私達各人は、ただ一回死ぬだけです。私達はよくこれを利用して、一死に、万生に優る功を奏させなければなりません。(22節)。
◎ 現世もあなたたちのものである。未来もまたあなたたちのものである。現世は、神の公道を立てるための私達の戦場である。来世は、神の恩恵を永久に楽しむための私達の楽園である。
この美しい天地を造られた神は、これよりもさらに数等美しい天国を御造りになって、私達彼に愛された者を待ち迎えて下さる。既にこの世の万物を有する私達は、やがて来る神の国においても、その主人公となるということである。私達は、喜ぶ上にも喜ばないでよかろうか。(22節)。
◎ 万事万物は、あなたたちのものである。なぜなら、あなたたちはキリストのものだからである。神は彼に万物をお与えになった(マタイ伝11章27節)。ゆえにキリストのものであるあなたたちはまた、キリストと共に万物の所有者である。あなたたちの所有主(もちぬし)は、ただキリストだけである。あなたたちは彼に在って、万物の所有主である。(23節)。
◎
キリストは、神のものである。もちろん、僕(しもべ)が主(あるじ)のものであるという意味でそうなのではない。子が父のものであるという意味で、妻が夫のものであるという意味において、キリストは神のもの、その
愛する者なのである。
父は万物を子に与え、子はその万物を彼によって父を信じた私達に与えて下さる。万物は私達につながり、私達はキリストにつながり、キリストは父なる神につながる。こうして宇宙万物は、キリストに在って一体となり、完全な一整体(Cosmos)を成して、神という中心点の周囲に運転するのである。
人も万物もみな、キリストに在って相繋がるのである。彼と離れて一致はなく、団結もない。人によって相結ぶのは、相離れるのである。結党は離散である。党派の樹立はキリストの精神に反する。あなたたちは、直ちにこれをあなたたちの中から根絶すべきである。(23節)。
(以上、明治36年1月25日)
「コリント前書第一章〜第三章」完