(「近時雑感」その2)
12.平和主義の偉人
イギリスのグラッドストンが死んだ後では、世界の大偉人はフランスの現大統領ルーベー(
http://en.wikipedia.org/wiki/Emile_Francois_Loubet )であると思う。彼は徹頭徹尾平和主義の政治家である。
彼は好戦的なフランス人を率いて、交誼を万国に求めつつある。彼は近頃フランス国民三年の兵役権限を縮めて、二年とした。そして彼をよく知っている者の話によれば、ルーベーはこれをさらに短縮して一年にしようとしつつあるという。
彼はフランス人を、その仇敵であるドイツ人に対してさえ、過去の怨恨を忘れさせようと努めつつある。
常に欧州戦乱の培養地として目されたフランスが、そのような良好な大統領を戴くようになったことは、人類の幸福のために最も祝うべきことである。
13.戦争の人
人類の敵は人類である。日本人の敵は日本人である。心に平和のない者は、全ての人を敵として立つ者である。そのような人には、戦わなければ平和なるものはない。
彼は外国と戦って、始めて同国人と和する者である。反対党と戦って、始めて自党の者と一致する者である。敵なしには平和と一致とを味わえない彼は、この世に在って実に不幸な人である。
14.「義戦」の迷信
私も一時は、世に「義戦」というものがあると思った。しかし今は、そのような迷信を全く私の心から排除し去った。
「義戦!」。何故「義罪」と言わないか。もし世に義(ただ)しい罪があるなら、義(ただ)しい戦争もあるであろう。しかし、「正義の罪悪」が無い間は(そしてそのようなものがあるはずがない)、
正義の戦争があるはずがない。
私は今になって、かつて「日清戦争の義」なるものを、拙(つたな)い英文に綴って我国の義を世界に向って訴えたことを、深く心に恥じる。
15.私の理想の国
もし私の理想に近い国を言えと言うならば、私は答えて言う。「スイスである。ベルギーである。オランダである。ノルウェーである。
帝国主義を唱えない北米合衆国である」と。
これらはみな、剣を用いずに、農と工と商とによって世界を主導している国である。軍艦の擁護なしに、ノルウェーの商船は世界の至る所に運輸の業を営んでいる。強兵による威嚇なしに、スイスはその懐中時計を世界の人に使用させつつある。
三億万トンの小麦の輸出は、米国人に取っては、二十万トンの軍艦に勝る勢力である。
国は兵を減らすだけ、それだけ幸福になるように見える。日本国を世界の黄金国とするのは、それほど難しくはあるまいと思う。
(以上、9月27日)
16.正反対の人生観
かつて牛込薬王子前に住んでいた頃、近所の陸軍将校の一人で、すこぶる有望な少壮士官某が、たびたび私の寓居にやって来て、私に種々の人生上の質問を試みた。私は別に遠慮するところなく、いつもの通り、私が採っている主義信仰について述べた。
ところが彼は、ある日また私を訪れて言った。「先生の言うところは、我等の言うところとは正反対である。我等軍人は毎日、殺すことだけを考えているのに、先生は生かすことだけを考えている。私はとうてい永く先生の教えを受けることができない」と。
彼はこの言葉を放って後、未だ一回も私の家を訪ねたことがない。私は想う。愛すべき彼は、今日今頃は、盛んに開戦論を唱えつつあるであろうと。
17.ロシア兵卒の述懐
ロシア兵卒の一人は、かつてロシア・トルコ戦争に出て、トルコ兵卒の一人を銃殺し、彼もまた傷を負って、その傍に倒れた。直に彼は、看護卒に発見されて、担われて味方の陣に帰り、終にペテルスブルグの病院に輸送された。
病床で、彼が意識を回復すると、しきりに彼が殺したトルコの兵卒のことを思い出して止まない。彼の傍らにいた人々に告げて言った。
「私は、私の銃剣で刺殺した、かのトルコの青年に対して、何の恨みも抱いていなかった。彼もまた私に対して、何の恨みもない。ところが私はロシア人で、彼はトルコ人であったので、私達は徴用されて戦場に出て、剣を揮って相争い、彼は私を傷つけ、私は彼を殺した。
想えばどのような理由があって、私はかの好青年を殺したのか知らない。もし戦場以外の場所で私が彼に遭遇すれば、私達二人は、最も好い友人になったであろう。ああ、戦争は忌まわしい。私の傷が治った後は、私は終生戦争の廃止を唱えて止まないであろう」と。
同一の感を懐く者が、遼東の野に支那人を刺殺した我が兵卒の中にもいるのかいないのか、私は知らない。
18.私をもし外務大臣にするならば
もし私を日本の外務大臣にするなら(もちろんここ三四百年間は、そのようなことが有り得るはずはないが)、私は先ず内閣会議において、軍備全廃を議決しておき、その後にロシア政府に通牒して言うであろう。
「貴国の満州、朝鮮における行為は、横暴を極めている。私は日本国政府を代表し、ここに貴国の反省を望む」と。
しかしロシア政府は、もちろんそのような忠告には、少しも耳を傾けないであろう。彼は心の中で、笑って言うであろう。「日本はまた忠告を試みる。私はさらに満州の兵備を増して、彼を威嚇しよう」と。
しかし私は、たゆまずにさらに忠告を続けて言うであろう。「私は重ねて貴政府に忠告する。貴国は非紳士的行為を続けている。私は人道の名によって、貴国に勧告する。軍備については、弊国はこれを大罪悪を行うための凶器と認めたので、既にこれを全廃した。
ゆえにもし、貴国が暴力によって弊国と争おうとされるならば、弊国は人道の明訓に従い、そうです、貴国民が信じ、世界に誇っておられるキリスト教の教訓に従い、暴力によって暴力に報いないであろう。私は日本国民に代わって言う。イエス・キリストの御名により、貴国の非行を改められよ」と。
ロシアは、もちろん容易にそのような君子的な言葉を信じないであろう。しかし日本国駐在のロシア公使から、日本国における軍備全廃の報告を聞き、また世界各国の新聞紙が、筆を極めて日本国の行動を称賛するのを見て、頑迷なロシア人もややその蒙を啓かれる感じがするであろう。
そして、間者を放って日本の真意を探らせるか、あるいはその使臣に命じてさらに日本人の新決心を確かめさせ、そして事実が終に否定できないことを悟って、朝廷の大臣はみな、大いに心に恥じて、新たに日本に返事を寄こして言うであろう。
「私達は間違っていた。貴国は今日までの弊国の非行を赦して下さい。弊国は喜んで貴国の勧告を受け入れます。弊国は先ず極東に派遣した弊国の軍艦を召還し、それによって貴国の疑惑を解きましょう。満州撤兵についても、もちろん謹んで貴意に従います。
ただ御願があります。貴国においても大連湾ならびに旅順港がシベリア開発に欠くことの出来ないものであることを了解され、弊国が特にこれを使用することを許可して下さい。また満州については、貴国も出来ればその良民を送って、弊国の民と共に、その開発を支援して下さい。
日露両国は、多くの点において、その目的と利益とを共にしています。私達は争うべき者ではなくて、相助けてアジアの億兆の民を開明に導く天職を有する者です。貴国はどうか今日までの弊国の非礼をお赦し下さい」と。
ここにおいて、本当の平和は太平洋からバルチック海にわたり、松江、鴨緑の水は、何の支障もなく静かに海に注ぐようになり、満州の穀物は黄金波を揚げて、富士とウラルとは、バイカル湖辺に握手し、ヒマラヤ山上には遠くない将来、平和の旗が翻るであろう。
(以上、9月30日)
「近時雑感」完