本日2/22の朝日新聞は、小さな耐震補強と介護問題であった。
今日の社説には、特に突っ込むつもりはない。流し読みだったので本当は突っ込むところもあったのだろうが、ウムウムと読んでいた。
実は、そうさせたのが介護問題である。自分にとって介護問題は身近な問題であるからである。
朝日新聞に書いている老老介護を私の母親はしている。父親は、認知症ではないが、脳溢血の後遺症でかなり辛い状態である。
親戚も近くにいるのだが、やはり介護を一人でするのは大変であるから私は福岡から帰郷してきた。私も手伝いはするが、接し方は難しい。四六時中、介護しない人間は、頑張って世話をする。それは良いことなのだが、それを毎日介護する人間に求めて不満を持ってしまうことがある。
私の介護の接し方は、健康なときとあまり変わっていない。トイレなどの運動の介護は出来るだけ手助けを少なくするし、差別と普通の人間には怒られそうなネタでも父親に軽口を叩いて笑いを取る。本人は、自由にならない体を歯痒く感じているようだが、それを悲壮な感じにしないでちょっと身体の動きが悪くなった程度で思わせるように普通に接している。
これが正解かは判らない。しかし、前に身障者の差別問題で書いたスタンスと同じである。健常者を同じように扱うことが前提で、困ったところだけ手伝うのである。
しかし朝日の記事は、良いことを書いていてもなにかしら上から見下した物言いで、介護者の代弁という感じではないと思うのは、私の偏見なのだろうか
人気blogランキングへ、ポチッと押して下さいお願いします

0