さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず11月10日に掲載された「火事場の改憲論」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「選挙でちょっと勝ったと思ったらもうこれだ。維新の会と国民民主党が「憲法改正論議をやろうぜい」「やろうやろう」と浮かれている。
いったい何を議論するつもりなのだろう。維新は「憲法改正原案」を、国民は「憲法改正に向けた論点整理」という文書をそれぞれ発表しているのだが、私の目には改憲のための改憲、趣味の改憲案にしか見えない。
現行憲法が築七十五年の家だとすると、「教育無償化」など三項目を掲げる維新案は屋根の上にさらに屋根を架けている感じ。「人権保障のアップデート」はじめ四項目を掲げる国民案は飾り窓やシャンデリアで飾り立てている感じ。互いの案を審査会に持ち寄って合評でもやる気か。
一方自民党は2017年に「改憲四項目」を発表している。いわば安倍元首相の置き土産である。@憲法九条への自衛隊の明記、A緊急事態条項の創設、B(参院選挙区の)合区の解消、C教育充実。BCは現行法で十分な趣味の範囲。焦点はむろん@Aである。
岸田首相も改憲に前向きな姿勢を示しており、独自案を出した維新・国民も要はこれに乗るか否かが問われている。
築七十五年の家によほど問題があるならリフォームも必要だろう。が、コロナ禍で人々が疲弊している時期に改憲を急ぐのは火事場泥棒と同じ。憲法は政党のオモチャではない。」
また、11月14日に掲載された「危険な文部科学副大臣」と題された前川さんのコラム。
「あまり知られていないが、岸田文雄首相は若いころ文部科学副大臣を務めたことがある。だからこのポストを多少は大事にするのではないかと思ったが、あろうことか池田佳隆衆議院議員を任命した。池田氏は愛知3区で敗北したが比例で復活。選挙後の第二次内閣でも再任された。
2018年2月、名古屋市立八王子中学校(上井靖校長・当時)が私を招いて全校生徒を対象にキャリア教育の公開授業を行った際、これを問題視して文部科学省に圧力をかけ、後悔授業の音声データの提出を求めるなどの質問状を名古屋市教委に出させたのが池田氏だ。当時彼は自民党文部科学部会の部会長代理の職にあった。
法令違反が疑われる場合を除き、文部科学省には学校現場の教育内容には口を出す権限はない。いわんや一国会議員に学校現場の教育実践に介入する権限は全くない。教育基本法第16条はこのような介入を「不当な支配」と呼んで禁止している。03年に三人の都議会議員が都立七生養護学校の教育に介入した事件では、11年の東京高裁判決(その後、最高裁で確定)が「不当な支配」と断罪した。池田氏の行ったのは同種の行為だ。
こんな人物を文部科学副大臣にすれば「不当な支配」の危険性はさらに高まる。岸田首相の任命責任が問われるべきである。」
そして、11月17日に掲載された「ケチすぎる」と題された斎藤さんのコラム。
「〈日本がデフレから長らく脱却できなかった根本要因は、政府が世の中に出回るお金の量を増やさなかったことにある〉。まして〈いまはウイルスとの「戦争」をやっているのだから、負けて国が滅ぶよりは「借金」を抱えても生き残ったほうがいいに決まっている〉。
井上智洋『「現金給付」の経済学』(NHK出版新書)の一部である。
その通りだと思う。
もっか小康状態とはいえ、現下の日本は病み上がりで、いつまた再発しないとも限らない。この時点でもう一度十万円の一律給付金を出すことをなぜ政府は渋るのか。
給付には必ず所得制限をという声が出る。本当に困っている人だけ支援すればいいという理屈である。だが、条件付きの給付には必ず「漏れる」人が出る。百万円の所得制限をつけたとして、じゃあ所得が百万一円の人は困っていない?
富裕層にまで給付する必要はないというけど、所得一千万円超の人口は5%未満。その人たちに無駄遣いをしてもらえば店の収入にはなる。条件付き給付はまた、手続きを煩雑にし、給付を遅らせ、もらった人ともらえない人の分断を生む。
〈『バラマキ』こそが、最適解だ!〉と先の本はいう。「十八歳以下の子どもがいる世帯に五万円と五万円分クーポン券」はケチすぎる。バラマキ批判に終始するメディアも同罪。みんな冷たすぎるよ。」
どの文章も一読に値する文章だと思いました。

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