また一昨日の続きです。
「(中略)いままでずっとつらい想いをしてきたのに、最後も孤独のままで突き放すなんて、できなかった……。(中略)二人のあいだに生まれて、幸せだったよ。わたしはもう一生分愛されたと思ってる。だから、もう苦しまないで。つらく思わないで。(中略)……本当にありがとう……」
突然、強い力で雛歩は抱きしめられた。(中略)
女の人が、雛歩の胸に顔を押しつけ、声を上げて泣いていた。
男の人が、雛歩の手を強く握りしめ、やはり声を大きく上げて泣いていた。
いつのまにか女将さんが、そばにいた。(中略)
「雛歩ちゃんも」(中略)「部屋に入って、おやすみなさい」(中略)
雛歩の中に、いつしか真実に向き合う勇気が生まれていた。本当のことを告げなきゃいけない、という想いが芽生えていた。
「女将さん」(中略)
「こまきさんも、聞いてください」(中略)
「飛朗さんも、よかったら聞いてください」(中略)
「わたしの苗字は、鳩の村と書いて、鳩村です。鳩村雛歩です。わたしは、人を殺しました」(中略)
そこから言葉があふれ出してきた。(中略)
雛歩のふるさとは、秋祭りを明日に控えた日、豪雨に襲われた。(中略)町を貫く川が氾濫する恐れが生じた。山あいの町のため、土砂崩れも懸念された。
雛歩は、両親と五歳年上の兄の四人で暮らしていた。近所に父方の祖父母がいた。(中略)雛歩たちの家は川から近く、四人は町の小学校の体育館に避難した。山沿いに暮らしていた祖父母と連絡がとれなくなり、まだ川は氾濫していなかったため、両親が車で助けに向かった。(中略)
しばらくして父の携帯から、兄の携帯に連絡があった。父は沈痛な声で、じいちゃんとばあちゃんの家が土砂でつぶれている、と語った。家は跡形もない。(中略)車に乗って戻ってくる途中で、母から電話があった。自分たちは無事だから、心配するな、という連絡だった。(中略)
だが、両親の車は帰ってこなかった。(中略)
二日後、祖父母の遺体がああ、土砂で押しつぶされた家の中から発見された。(中略)
災害から一か月が過ぎ、体育館で暮らしているのは、雛歩たちだけとなった。(中略)父方の叔母が、兄妹一緒に越してこられるようにする、と約束してくれた。(中略)
そして期限のきた三日目、川をずっと下った先の海で、両親の車が発見された。
ただし、車内に人の姿はなかった。
雛歩は、父方の叔母の家へ移った。(中略)
叔父は自衛官で、雛歩の兄と今後について話し合い、兄にも自衛官になることを勧めた。大学進学をあきらめ、就職を考えねばならなくなった兄には、現実的な選択だった。(中略)
雛歩は、引っ越した先の生活にも学校にも、まったくなじめなかった。失われたものの大きさからすれば、新しい環境に慣れるには、多くの時間が必要だった。(中略)
兄との別れの日、一人前の自衛官になって迎えに行くから、それまで我慢するんだぞ、と兄は雛歩の頭を撫でた。長く泣くことも忘れていた雛歩だが、さすがに不安のあまり涙がこぼれた。(中略)
お母さんは、もうすぐ帰るから、待ってて、って言ったのにあ、まだ帰ってこないよ。(中略)お兄ちゃん、行かないで。(中略)
そして兄は去り、雛歩は松山の伯父の家に送られた。
伯父の家の人たちが、ことさら冷たい心の持ち主だったわけではないと、雛歩もいまはわかる。いろいろなタイミングが悪かっただけなんだろう。(中略)
伯父が内臓に重い疾患を抱え、長期の入院と短い退院を繰り返すようになり、その家のおじいさんには認知症の症状が出はじめた。
え、きみは九九の計算もできないのか。
かつてはできたが、学ぶことに意味を感じられなくなり、すっかり忘れてしまった。
うそ、おまえアルファベットも書けないの。
そう、一字だって書けなかった。(中略)
そんな子に対して、周囲はいじめるつもりはなくても、無視や嘲笑など、いじめに似た行為をしぜんととってしまったのだろう。雛歩は授業に出ず、図書館にいることが多くなった。
家では、家事だけでなく、どんどん認知症がひどくなるおじいさんの介護も任されるようになった。(中略)
(中略)
その日、登校時間になっても起きられずに、学校を休み、おばあさんが近くのクリニックに薬をもらいに出たので、雛歩とおじいさんしか家にいなかった。(中略)おじいさんの呼ぶ声が聞こえた。仕方なく居間に出て行くと、おじいさんがズボンを濡らして、ぼうっと立っていた。雛歩は、絶望的な気持ちになりながら、おじいさんのズボンのベルトを外し、紙おむつを替えようとした。すると、おじいさんは頭にスイッチが入ったみたいに、いやらしいこあとを口にしはじめ、雛歩のからだをさわってきた。たださわるのでなく、下半身をすりつけてこようとしたため、雛歩は恐怖のあまり相手を突き飛ばした。
(また3日後に続きます……)

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