まどんこ大将の だって止めたって買うんでしょ?

レコード会社と業務提携してプロモーションやら新人開発などをしつつ働きながら、あとはDJしてみたり旅に出てみたりレコード買って見たりDVD買ってみたり、の音楽自由業。そんな毎日を綴っております。
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小気味よく買うね!by (N枝先輩)。そんな無駄遣いと裏道の日々、生暖かく見守ってくださいませ。なお日々のちょっとしたグダグダ話はtwitterにて。フォローしてね。

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9/24 mona records,SHIMOKITAZAWA 「New Wave Of New Wave Of New Wave Night」*なんかニューウエイヴのDJやってくれっていわれた(笑)。 10/1 ANCE,YOYOGI 「全日本歌謡選抜vol.3」

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投稿者:まどんこ
ああ、そうでしたね。今じゃ考えられないんだろうなあ、洋楽の新譜の発売を待っている人がいっぱいいた時代を。
他店の補充、うちもありました。儲けがないけど商品があったほうがマシ、というのは、これももう望めないんだろうなあ、レコード店に。
シャニースの一件で店には長方形の箱では売らないということになりました。そのうち、なくなりましたよね。
あのハコ付が今やプレミアなんだもんなー。世の中すごいスよね。
投稿者:Tonie
そうか、シャニースは最初は国内盤なかったんだっけか。忘れてたよ。
ジャネット、マライアの新譜、ボディガードのサントラはどんだけ仕入れても足りなかったよなぁ。“「ボディガード」明日入荷します”とか手書き簡易ポスター作ったし。いまじゃ信じられない話。これはねぇ、他店が補充間に合わないから買いに来てたらしい。一気に20枚ぐらい買っていく客が数人いたんだよね。儲けはないんだけど、その店の判断で買ったと思う。まさにプロだね。

例の長方形の箱といえば、前の場所の末期に短期間だけ向かいのBEAMSで営業したんだよ。いまレコファンが入ってるフロア。3Fの宗教団体が出ていったから、そこも使うための改装工事で。社員もバイトも総出で移転作業。非常階段に15人ぐらいが並んでCD詰めたダンボールを手渡し。ひょろっとしたバイトが顔面蒼白でフラフラしてきたので、“こっちはいいからBEAMSの女チームに行ってこい”とか言ったり。
BEAMSでは、例の箱のバラしをやってたんだよね。本国では廃止するから棚も変えていくとかで。店は閉められないから(移転日は休み)、お客さんいるのに端っこで、手が開いた人が黙々とバラし作業をやっていた。
ちなみに、それ以前に箱が付いてない商品はどうしてたかというと、わざわざ店側で透明のプラ容器を付けてたんだよね。二つ折りでホッチキスで止めて。オーダーとかが一段落するとその作業をやるんだよ。
投稿者:まどんこ
ああ、面白い。アラウンドザウェイの話は素晴らしい!
あの頃の輸入盤店は通常のレコード店とやっぱり全然違ってましたね。内装も違うし、まだレコードの什器が生きて使われてたし。

自分がWAVEに入社して最初はディスクポート大津に行って。丁度シャニースのアイ・ラヴ・ユア・スマイルがチャートで1位になったんだけど、当時日本のモータウンの国内でのディストリビュート先が変更になって国内盤がなかった。で、問い合わせがあまりに凄いから輸入盤で入荷させたら例の紙箱に入った奴が入荷して、当時大津では輸入盤という感覚がお客さんになかったので、やたら「これ本物?」とか「なんで箱に入ってるの?」とか聞かれた思い出がありますね。
投稿者:Tonie
|タワー渋谷が前の場所(マンハッタンの前のサイゼリア)の頃の話
バックルームが和気あいあいとしてたんだよ。バイヤーの視聴、ポップ書き、喫煙所を兼ねてたから、ほとんど雑談しにくるんだよね。ブラックのバイヤーの本拠地がなぜかそこになってたから、“いいっすね、ソウルは。煙草吸いながら仕事して”とよく言われた。
ウチらは一日中、くだらない話してたからね。淳さん(鈴木啓志さんの知り合い。名字が同じのが3人いたので、淳さん、トニーさん、ケイコさんと呼ばれていた)だけが真面目にやってて。
いまでも憶えてるけど淳さんがアラウンド・ザ・ウェイの「リアリー・イントゥ・ユー」が入った時にかけてて、“おおっ、やっぱしアトランティック・スターは最高だなぁ”とか“最近はサンプリングとかもやるようになったんだ”と盛り上がってたら、“いや、君たちねぇ、これは新人だよ。UKの”と言われた。
投稿者:まどんこ
タワー渋谷が前の場所(マンハッタンの前のサイゼリア)の頃の話とか、CSVがあった頃の話とかあまり書かれていないですよね。僕も当時大阪にいてあまり知らないんですけど、80年代後半のタワーって確かにほぼ輸入盤のみでした。まだCDが長方形のハコに入って売ってた頃。
どうしても渋谷のレコード店話ってHMVの登場あたりにスポットが当てられがちなんだけど、その前から既にシスコにせよタワーにせよユニオンにせよ面白い動きがあったということはあまり書かれていないこと。
まとめてちゃんと残したいものです、これはほんとに。かなり面白いと思うんですけどね。
心斎橋店の店長さんって今新宿の店長さんになっているんじゃなかったかな、と。
投稿者:Tonie
残せないというか、その類の特集で書かれない事実なんだけど、渋谷系以前には、輸入盤屋では国内アーティストをいっさい扱ってなかったことなんだよね。タワーが扱い始めたのが1993年。
なんで輸入盤屋がJ-POPなんかやんなきゃダメなの? そういうのは地元のレコード屋で買うもんだろ。ということでどんどん人がやめていった。俺もそうだし。店内でミスチルとかが流れるのが嫌でね。
タワー渋谷店の初代バイヤーは、人のいい女の人だよ。アルプスの少女ハイジみたいな格好してた人。誰もやりたがらないから、じゃあ私がやりますという。インディーズを充実させたのは俺と入れ替わりで入ってきたKくんだね。のちにユニオンに行った。
ただ、それ以前に扱ってた分野もある。レゲエとハウスの国内アーティスト。バイヤーとレーベルが繋がってるというだけで、各店舗にバラつきはあった。渋谷店はレゲエが強かったよ。レゲエ担当のボスが、後にミュージック・マガジンで連載する人だったからね。その下にブラック系ライターになる奴(新譜のライナーはだいたい奴が書いてる)がいたり、ラップの専門誌の編集になる奴とか、ジャマイカに住んで呼び屋の仲介になる奴とか、女性ラッパーとしてデビューした奴とか、現在のレゲエ系ライターのトップの嫁になる人とか、あと丈ちゃん(故・ダブソニック)もいたし、人材がゴロゴロしてたんだよな。心斎橋店の店長になったT(メタル系)も一緒に働いてたよ。というかあいつにいろいろ仕事を教わったのだ。新人の指導役だったから。
毎月、給料日に飲み会やってたな。ペンギンズバーで。そのあとタクシーでウチに来て朝までいたりとかしたもんだ。たまり場になってたんだよ、ウチが。
渋谷系以前の雰囲気を,機会があれば残したいもんだなと思う。
投稿者:まどんこ
ええ、そうなんですよね。自分があの時、大阪芸大っていう場所でなにをしたかっていわれたら、なんにもしてなかったかなーって。あくまで個人の話です、これ。

ただ、その時代に生まれた作品が面白い、といわれたら、それは自分がその作品とどう向かい合ったか、それは伝えたいなあ、と。WAVEのワールドものとか渋谷系って言われたものとか実際就職した後で売ってたわけですしね。
そういう細やかな部分は残せないものかな、とは思います。
投稿者:Tonie
|まあ気恥ずかしさも正直ありますね。
それは個人個人の問題。自分の過去を気恥ずかしいと思う人だけが、そう思うんじゃないかな。
投稿者:まどんこ
まあ気恥ずかしさも正直ありますね。
いやいや、そんなに素晴らしい時代、なんて言われてもー、という。
投稿者:Tonie
神格化するのは同時代の人間じゃなく若い世代。
60年代後半から70年代前半を神格化したのも、当時は中〜小学生だった世代が中心なわけで(注:萩原健太さん文体)。
個人的に、双方を比較すると(比較しなくてもいいんだけど、あえてやるとすれば)80年代後半のほうが遥かに上だな。前時代は記憶が曖昧だから。
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