生まれた者は必ず死ぬということ、会った者は必ず別れるということ。 仏教ではこういう運命を「生者必滅 会者定離」といい、人生の無常を説いています。
二ヶ月振りに書く日記の出だしが、とても硬い文章になってしまいました。
それは、私が桐生に嫁に来て体調を崩したり二人の子どもを生まれた時から診ていただいた山田小児科・内科医院の山田医院医院長先生が逝去されたからです。 御歳90歳でした。
先生は、地域医療に60年以上にわたって携わり、亡くなる当日の午前中も診療をされていたと聞いています。 市体協会長はじめ色々な会長職を引きうけ、スポーツ振興、今では市の冬期イベント・堀マラソンの普及に努められ去年も走られたのでは?と記憶しております。
医院は昭和な感じで、待合室は畳敷き。 いつも婦長さんと看護師さんたちが綺麗に朝早くから清掃をしていたのでピカピカ。
医院に行くのは体調がおかしいから行くのですが、先生は話をよく聴いてくださいました。
私の場合、大体風邪をひいてもいるけれど疲れがひどいからと点滴行き・・・。
点滴お世話になりましたょ 婦長さんとの会話も癒されました。
娘の場合、風邪もひいているけど精神的に疲れているねと注射。
母親でも分からない心のケアをしていただきました。
息子の場合、気管支炎やアレルギーやその他もろもろで兎に角この子ほどお世話になった家族はいないが、「孫みたいなんだよぉ〜」とかわいがってもらいました。ひ孫の間違いじゃないの?と思いましたが。
診療の最後は、必ず診療机から缶を出して「良い薬あげるよ」と息子又は娘を呼んで、飴をくれるのでした。私にも「そこの綺麗なお嬢さんにもあげなきゃな。」なんて茶目っけたっぷりの先生に「じゃあちょっと前のお嬢さんもいただきまぁ〜す。」と缶に手をのばしていただくのでした。
優しいだけではなく、厳しい面も持ち合わせていらっしゃって、ちいさな子どもに靴下は履かせなさんな等、新米の母親の頃は教えて頂きました。
患者の話は聴きますが、先生のことは知らないな、と思っていたら、
戦時中は海軍軍医だったこともあるのでしょう、子どもの火傷に「戦時中の船上で砲撃受けてさ、燃えてみんな火傷しても塗る油がなくって機械油でもなんでも塗ったよ。だって薬ないんだもん、油ぬるしか手立てないからさ」と、なんとなくもの悲しく語ったことを思い出します。 だからプールというか水がきらいだったのですね。
「挨拶は短い方がいい。」と言ってらして、会合の挨拶は短い。主人も尊敬して会合の挨拶をする時は短い。うちの子どもの運動会PTA会長挨拶短くて、子どもたちから喜ばれたそうです。有難う山田先生良い教えを。
遺影は白衣姿で診察室で微笑んでいるいいお写真でした。
生前のままの笑顔の先生がそこにいらっしゃって、「ひさしぶりぃ〜元気にしてるかい?」と言っているようでした。 息子は「ちゃんとみると泣いちゃうから見なかった。」と言ってましたが、泣いていましたね。
山田先生・・・。出会えてよかったです。私たち家族は先生を忘れません。
出逢いがあれば別れは必ずやって来ます。
その別れがどんなものにせよ、出逢った意味があるものとし、生きて逝きたいです。

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