足柄茶から基準値を超える放射能が測定されたことは
私にとっては想定内とは言え、やはりショック。
1986年
チェルノブイリ原発事故の時24歳。息子を産んだばかりだった。
何千キロも離れているのにカウンターが振り切れたと聞いた。
生協のわたらい茶に放射能が検出されて自然志向の母親達の間で大騒ぎとなった。
専門家を呼んで話しを聞く勉強会が開催されて参加した。
普通に布団を干して、洗濯物を干していたこと、さえもぞっとした。
その後、原発は本当に危ないと思った。
反原発運動に参加した。中部電力のまわりのデモにも参加した。
あれから20年以上。
引っ越したこともあり、反原発運動のことも薄れていた。
子ども達だけは守ってあげたいと思う。
守るべきだと思う。
もう子どもを産むわけでもないので
若い人、子どもたちを守って希望が持てる将来を作って行かねばならない。

2