2019/7/21  0:00

僕、ツィポール!いつだって。  

僕、ツィポール!

今の状態に満足できなかったら、いつだって新しく始めることはできるんだよ。
今の自分がだめだと思うなら、いつだって新しく始めることはできるんだよ。

新しく始めることなんてできないというのは、自分の思い込みだよ。
過去の失敗にとらわれているだけだよ。
気持ちが過去に引きづられているだけだよ。
自分で自分の未来を否定しているだけだよ。

思い立ったが吉日と言うけど、自分で新しく何かを始めようと決心をすればいいだけなんだ。
過去を振り返って、過去の失敗に捉われるよりも、過去の中からこれから先の未来へのベースとなるものを探したら?
自分の経験って、うまくいったことも失敗したものも、未来に向かうベースになるんだよ。
過去の悪い側面ばかり眺めるのはやめて、過去を未来のために使うことを考えたら?

いつだって新しく始めることはできるんだよ。
新しく始めようと決心すればいいだけなんだよ。
新しく始めることができるかどうかは、自分次第なんだけどね。


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2019/7/20  1:48

僕、エサウ!「飽きた」って。  

僕、エサウ!

日本人って、我慢を美徳としている人が多いよね。
確かに我慢しなければその良さがわからないこともあるし、飽きっぽいなら何事も続かないかもしれないよね。
だけど、何かに長く向き合ってきて飽きた時には、「飽きた」と言っていいんだよ。

「飽きた」と言えるくらい何かに向き合ってきたなら、そこには何らかの積み重ねがあるよ。
その積み重ねは、一つの経験だよ。
「飽きた」と言ってそこから離れたとしても、経験はゼロになるわけじゃないよ。
それは、次に新しい物事に向かい合う時のベースになるんだよ。

飽きてしまったことをまだ続けようとしても、無駄な我慢を続けるだけだよ。
飽きたら離れて、新しい物事に向かい合ったらどうかな。

これって、人間関係についても同様なんだけどな。


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2019/7/19  0:00

ぼく、フランソワ!疲れた時は。  

ぼく、フランソワ!通称、ぶーちゃん!

疲れた時は、ゆっくり休んだらいいんだよ。
休むって、寝るだけじゃないんだ。
好きな音楽を聴いたり、好きな本を読んだり、散歩をしたり、おいしいものを食べたりすることだって、休息の一つじゃないのかな。
どこかに出かけたり、友達とおしゃべりすることだって、休むことにつながったりするんだよ。

疲れてる時って、それまでの緊張が限界になった時なんだよ。
それまで関わっていた状況から離れないと、休むことはできないよ。
休む時には、現実逃避だなんて自分を責めないでね。
休んで体力や気力が戻ったら、もう一度現実に向き合えばいいだけなんだ。

体も頭も心も休ませるといいんだよ。
体も頭も心も緊張をほぐしてあげるといいんだよ。

自分の疲れに気づいていない時ってあるんだよ。
新しい発想ができなくなったり、ミスが増えたりしたら、それは疲れてる時だよ。
同じことを続けるよりも、ちょっと離れて休んだ方が、効率がいいんだよ。

疲れたら、休もうよ。
無理し続けるよりも、ちょっとだけでも緊張を解そうよ。


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2019/7/18  0:00

妾、シャホールでございます。記念日って。  

妾、シャホールでございます。

今月の15日は、去年帰天したうちのお母さんの母親の誕生日でございました。
昨日17日は、うちのお父さんとお母さんの結婚記念日でございました。
でも、特に何かをしたってことはありませんでした。
来週の土曜日27日は、うちのお母さんの母親の納骨の日でございます。
29日は、うちのお母さんの母親の一周忌でございます。
28日の日曜日に教会でミサを上げてもらいますが、それだけのことでございます。

妾、思うのですが、記念日とは大切なものかもしれませんが、生きていく中の一つの道程ではありませんでしょうか。
過ぎ去った物事の、単なる道標に過ぎないのではないでしょうか。
人生という厚く重い本に挟んだ栞のようなものではないでしょうか。

記念日を大切にするのは、過去を振り返って自分のあり方を省みるためには必要かもしれません。
過去を風化させないためには必要かもしれません。
でも、記念日にとらわれすぎると、今と未来を見つめることを忘れてしまうのではないかと、妾、危惧しているのでございます。


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2019/7/17  0:00

あたし、アンジェリュス!抑圧した感情があるのではないかしら。  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!

去年、うちのお母さんは大切な人を二人見送ったの。
うちのお母さんの母親は去年の7月29日に、うちのお母さんが父親のように慕っていた指導教授はその数日後の8月3日に亡くなったの。
うちのお母さんは、精神的な自立を促されたような気持ちになっているの。
どこかでこの二人に依存していたのでしょうね。

誰かを見送る時には、いろんな気持ちが生じるでしょうね。
うちのお母さんは、指導教授の帰天を耳にした時、いろんなことを思い出し、いろんな感情が溢れてきたと言うの。
でも、自分の母親の死に対しては、満足した気持ちが一番強いと言っているの。
ずっと仲が悪かった母親との絆を取り戻し、ようやくこれで全てが終わった満足感があると言っているの。
母親の臨終の時も、火葬場に行った時も、その後も、涙が出ることはなかったの。

だけど、表面に出ている気持ちだけじゃないのよね。
人間って複雑な生き物よ、どこかに気づかない気持ちがあるかもしれないの。
どこかに回避しているものがあるかもしれないの。

うちのお母さんは、母親を失った喪失感が心の底に隠されているのではないかと、探り始めているの。

誰だって、自分の中に抑圧している感情があるの。
その感情に気づき、その感情を認め、その感情を乗り越えることが人間の成長につながるんじゃないかと、あたし、考えているのよね。


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2019/7/16  0:00

あたし、モンチッチ!嫌だとばかり言っていたら。  

あたし、モンチッチ!別名、ゾンビ猫!

これは嫌、あれは絶対嫌と決め付けていたら、何も変わらないし、自分も成長できないわよ。
何故嫌かと、その原因を究明しようとしない限り、いつまでもそのままよ。
嫌だという気持ちでそこにあるものから目を逸らしていたら、現実逃避をし続けるだけよ。

これは嫌だと言ってばかりなんてのは、自分の気持ちを喚き立てるようなものよ。
気持ちばかりじゃ、わがままな子供と同じよ。
好き、嫌いなんてのは、各人違うの。
自分の気持ちを自分で大切にするのはいいけど、気持ちだけにとどまっていたら、物事を客観視することはできないわ。
自分の気持ちを優先しろと他人に要求していたら、そのうち煙たがれるわよ。
嫌なことを誰かに処理させようと押し付けているのは、依存よ。

自立して生きたかったら、嫌なことから逃げてばかりじゃいけないの。
気持ちから離れて、どうしたらいいかを考えなきゃいけないの。
そして、嫌だという気持ちを自分で処理しなきゃいけないの。


あたし、成長が遅く、ミルクを飲むことさえ嫌だって時があったの。
猫缶を食べるのだって、嫌だった時があったの。
だけど、生きていくためには、嫌なことでも向かい合って乗り越えなきゃいけなかったの。
あたし、頑張って少しずつ大きくなっているの!


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2019/7/15  0:00

僕、イグナース!苦しい時こそ。  

僕、イグナース!

自分は絶望感にとらわれているといっても、絶望感って、一つの感情だよ。
感情って、永続しないんだよ。
絶望感だって、どん詰まりに見えても、永遠に続くものじゃないんだよ。

絶望的な状況って、主観的だけではなく客観的なその時の状態かもしれないよ。
だけど、すべての物事って、時間とともに変化していくんだ。
その絶望的な状況がもっと悪くなるかもしれないし、良くなるかもしれないし、同じような状況が続くかもしれないよ。
いずれにせよ、時間による変化を考慮に入れなければいけないんだ。

絶望感も絶望的な状況も、永続するかどうかはわからないんだ。
諦めなければ、何らかの変化があるかもしれないんだ。

苦しい時って、この苦しさがずっと続くと思ってしまうけど、そのうちに何かが少しずつ変わっていくんだ。

苦しい時こそ、「待つ」ということを知らなければいけないと、僕、考えているんだ。


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