2019/9/22  1:32

僕、ブレーズ!それで良いのでしょうか?  

僕、ブレーズ!

「東海の小島の磯の砂浜に
我泣きぬれて
蟹とたはむる」
これって、石川啄木の『一握の砂』という歌集に収められている短歌です。函館の大森浜が彼の念頭にあったとされています。

この歌集が出されてから35年ほど経つと、この砂浜には掘っ立て小屋がたくさん建てられました。戦争が終わった後、満洲や樺太から、たくさんの人が引き上げてきました。住む場所のない人達は、大森浜に掘っ立て小屋を立てて、乞食のような生活をしていたそうです。
目がギラギラした人達が、たくさんいたそうです。
うちのお母さんの母親は、この掘っ立て小屋から通う生徒達を小学校で教えていたそうです。家庭訪問のため、掘っ立て小屋に赴くこともあったそうです。ずっと後になって市営住宅ができるまでは、この人達は掘っ立て小屋で寒さをしのいでいたそうです。
親を失った子供は孤児院に送られて、これもまた飢えのため、目をギラつかせていたそうです。
うちのお母さんの父親も母親も小学校や中学校の教員をしていましたが、教え子の中に孤児院の子供達が何人もいたそうです。
でも、この人達は、住む場所や身なりにこだわってはいませんでした。
日本にたどり着く前に亡くなった同朋をたくさん目にした人達にとっては、住む場所や物など、どうでもよかったのかもしれません。
生きることが最優先でした。
食べてその日の命をつなぐことが最優先でした。
それが当たり前のことでした。
この人たちは、生きることの尊さを知っていたのかもしれません。

食べて生きていくためにはお金が必要です。
でも、お金って、生きていくために必要なものを賄うだけで良いのではないかと、僕、考えたりしています。
良い家に住んで、良い車を持ち、華美な服にこだわったり、宝石を求めたりして、一体どうなるのでしょうか。
外見を飾るものが、その人の価値を決めるのでしょうか。

僕、生きることの尊さを知っている人こそ価値のある生き方をしているのではないかと思うのです。
他人を助けて生きる人こそ、価値のある人生を知っているのではないかと、僕、思うのです。

今は、高価なものが巷に溢れています。
お金持ちを羨む人がたくさんいます。
外見の価値、お金で買えるものの価値を人間の価値と取り違えている人がたくさんいるように、僕、思うのです。

本当にそれで良いのでしょうか?


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