アドホック日記そのほか:: 三浦俊彦 の時空間 Blog

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投稿者:φ
 語源辞典では「ぎゃ」(悲鳴)+「ふん」(ふむ=承諾・納得)とのことで、たしかに単なる愕然ではないと。
 子どもの頃雑誌などで目にした「笑い話」は「ギャフン」で終わる率がかなり高かったのに、最近は見かけないような気が。あるいは、こども向けのジョークにはまだ使われていて単に私が疎くなっただけのことなのか……、
ただ、「ギャフンのクオリア」というのはないと思います。「赤のクオリア」「痛みのクオリア」と同格の意味では。
投稿者:maiko
すみません推敲不足でした。最後の文の訂正、「しょういけれども。」ではなく「しょうけれども。」です。
投稿者:maiko
これを読んでから、いつのまにか「ギャフン」という言葉について考えていました。「ギャフン」はクオリアを表現した擬態語で、負かされて抗弁できないさま、という意ですが。しかし「フン」は「憤」のような気がしてならなくなりました。
どうも、「ギャフン」という言葉は、「ギャア」という悲鳴(生理的作用)と「フン(憤)」慨するという心理(精神的損傷)、の融合した言葉のように思えてきました。
「ギャフンと言わせてやる」とは、単に驚かすのみならず屈辱をも味あわせてやる、という意なのかもしれないと思い、実はものすごくこわい台詞なのかもしれないなあという気がしました。まあ、きまり文句になってますから、お経と同じくただ言うだけで、祈ったり呪ったりというようなものではないのでしょういけれども。

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