アドホック日記そのほか:: 三浦俊彦 の時空間

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投稿者:φ
もちろん、霊が見えてしまったら霊感があることになる、という認定も可能なわけであり。――霊は見えたらもう非実体(ニセモノor錯覚)、という理屈ですな。愛もおんなじ。

 見かけとは違って解釈の重点は前半にあります。むろん後半に重点を置くも可。その場合、「愛に動ぜぬ人を動かす愛」でないことに乞注意です。
投稿者:maiko
「見返りを求めない愛は本物」というようなベタな表現や、「愛が枯渇していた人に注がれる愛、そして生きている実感を取り戻す」とかいうようなベタな物語と内容が似ているような気がして・・・。アフォリズム表現にすると違和感があるのですが。

いや、もしかしたらそういう問題ではなくて・・・。愛について述べるのにふさわしくない霊を引合いに出しているというこの妙な感じ、そのあたりがミソなのでしょうか。
もったいぶらず解説してください。

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