アドホック日記そのほか:: 三浦俊彦 の時空間

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投稿者:φ
 「死への助走」は決まり文句ですよね。決まり文句に重心を置いた書き方がアフォリズム的でないという意味であり、決まり文句自体が適さないと言ったわけではありません。
 「死への助走」はいま検索するとやはり何千と出てきます。最初に言ったのが誰なのか突き止めたいところだが……、
 他方、「生の伴走者」はないだろうと思ったら、(ゼミ生の伴走者とかは除いて)なんと一件、「生の伴走者」という副題を持つ論文が出てきました。しかし意味は違っていたので、ひと安心。
 
 死について、助走と伴走を逆説で並べた例はかつて無いのでは?
 3207はとくにメメントモリではないのですが、まあ、いずれ再び「死」シリーズをやるかもしれません。
投稿者:maiko
これもまた言い古されたメメントモリ的パターンかと思うのですが・・・。一体どこにヒネりがあるのでしょうか?
そもそも生死に関する考えなど、古来からそう変わらぬもので、使い古されているからといってアフォリズム表現に適さないとは限らないと思うのですが・・・。

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