アドホック日記そのほか:: 三浦俊彦 の時空間 Blog

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投稿者:φ
 将棋とハイパーゲームの違いは、非ノーマルゲーム性が「千日手」に依存するかどうかでしょう。
 将棋は、千日手にならずとも無限に続きうるので、最も純粋な意味での非ノーマルゲームです。つまり、∀y∃x(Sy⊃x≧y)ですらないゲームです。(Sy・・・「yは任意の将棋で実現される手数である」)
 以前、議論相手に作ってもらった用語を用いると、以下のような分類が出来ると考えられます。
 有界ノーマルゲーム……例:普通のオセロ
∃x∀y(Oy⊃x≧y) 
(Oy・・・「yは任意のオセロで実現される手数である」)
 ノーマルゲーム……例:先手がマス目の数を自由に決めるオセロ
∀y∃x(Oy⊃x≧y)
 ハイパーゲーム的ゲーム……例:自由にパスのできるしりとり(千日手によってのみ無限に続きうるゲーム)
 純粋な非ノーマルゲーム……例:将棋(千日手以外によっても無限に続きうるゲーム)

 ハイパーゲームは第三のカテゴリに属し、非ノーマルゲームでありうるのはもっぱら千日手の可能性に依存しています。ここで次の問を立てます。
 問い:千日手だとなぜ無限に続くのか?
 答え:永遠に同じ手を指せるからだ。
 つまるところ、ハイパーゲーム指定の応酬は、「永遠に続くならば、永遠に続く。いつか止めるならば、いつか終わる」という形で、どちらを仮定しても無矛盾です。
 一般に、千日手という現象は、「いつか終わる」と仮定したならば、いつか終わるという結論が出てくるだけ。ノーマルゲームならばノーマルゲームであり、ノーマルゲームでないならばノーマルゲームではありません。
 「この文は真である」という文が真でも偽でもありうるようなものです。
 つまり、「千日手」を使った論証が導く結論は、空虚ではあるが、矛盾ではないということです。
 ――屁理屈っぽいですが、「無限に続く」の理由を、「無限に続けられるから」という根拠で正当化できないことは確かです。
 将棋なら、そんな空虚な正当化に頼らずとも、無限に続きうるので、堂々、非ノーマルゲームでしょう。
投稿者:ヒダン
PDFを拝見しましたが、証明に納得がいかなくてコメントさせていただきました。2年前の記事に突然お邪魔してすみません。

『ハイパーゲームがノーマルゲームであると仮定…矛盾はない』というのは論証として意味がないのではないでしょうか?
循環論法になっていて背理法にならないので、上の論証が完全に正しくても、仮定が絶対に正しいとはいえないと思います。
例えば、次のようにして矛盾を証明しましょう。『定義【千日手】「有限回の指し手でそれまでに現われたことのある局面が再び現れる」を定めると、定理「千日手が起こりえるゲームはノーマルゲームでない」はノーマルゲームの定義から導かれます。先手も後手もgとしてハイパーゲーム自身を指定しあうということ自体が<千日手>の定義を2手にして満たすので、ハイパーゲームがノーマルゲームであると仮定すると矛盾が導かれます。』
このような別証明が一切存在しないことを言わないと仮定の無矛盾性は示せないように思います。

(上の証明の千日手は将棋からイメージして定義したので'局面’などの言葉の使い方が不用心かもしれません)

この記事に啓発されて考えるのが楽しくてついついコメントしてしまいました。長文失礼いたしました。

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