アドホック日記そのほか:: 三浦俊彦 の時空間 Blog

 ●2004年8月以降、「アドホック日記」を、
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  「モンスター映画」など諸カテゴリを適宜増設、不定期で掲載してゆく予定。
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投稿者:☆
返信無用です。
赤瀬川原平が、油絵だとどこで筆を置くか迷う時がある…的な発言をかつてしていました。
だから、「もう完成していてとてもいいですよ」と声をかける人がいてもいいのではないか、そう思ったのです。
美しさに理由はいらない。
でも、僭越ながらあえて言えば、色彩の対比と分量の調和が完璧な警句だとおもいます。
何度見ても青白く燃えて光っているようです。
私は美しいものが好きなのですが「美しすぎるもの」との区別があんまりできないのでもしや「美しすぎる」から修正が入ったのかな。いや、この警句に限っては過不足なく美しいので過ぎていないのではないかな。…とおもってつい。

滅多にないくらい綺麗なものを見せていただいて、こちらこそありがとうございました。
投稿者:☆
私は「朝倉摂」という方を尊敬しています。その言葉に
「侘び寂びは逃げだと思います」
というものがありました。
震えあがるほど厳しい、と思う反面、確かにそうだなあ、とも思います。
でも、逃げ延びたいなあ、とも思う。

警句くらいは、逃げなくとも安全地帯ではないか。というか、逃げたら警句ではなくなるのではないか。
私はそう思います。では。
投稿者:φ
そうですね、デザイン(フォーム)が美しいのかメッセージが美しいのか。ともかく言われてみれば美しいと私も思います。気づかせてくれて感謝です。
投稿者:☆
「美しい」の基準

愛の腕に抱かれたことがある人は
シュトルム
藤原定 訳
愛の腕に抱かれたことがある人は
みじめに果てることはない。
知らない土地で ひとりで死んでも
愛人の唇にふれて感じた
かつての浄福がよみがえってきて
死の床でさえなお 彼女をじぶんのものと感じる。

投稿者:☆
どこまで言っていいのかな。
とりあえず、これだけは言っても大丈夫でしょう。
「私はこの警句は美しいと思ったからこの警句の肩を持つよ」
…でも、美しいのはダメだったのかな、とも思った朝でした。

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