2012/10/19

新米の季節に  

 新米の季節に

 一膳半の新米
 
 全国の田んぼでは稲の刈り入れも終わり、 農家の食卓には新米が湯気を立てている。 我が家では、 毎年二家族から新米を届けてくださる。 一軒は親戚の恵美ちゃんとこ。 しばらく前に、 3袋持ってきてくれた。 何年か前、 カミさんが『明石の親にも持っていってやるんよ。』と言ったものだから、 今年も『これは明石の分』と一袋多くくださった。

 そして今日の午前、 庭で秋晴れの空を眺めていたら、 佐藤辰児先生ご夫妻が来られた。 これも例年のごとく、 『知り合いのおいしい新米のお裾分け』と言って、 大きな二袋の新米をくださった。

 いくつになっても食欲は旺盛で、 好きな食べ物のレパートリーは人後に落ちないと自負している私だが、 こんな頑丈な胃袋に産んでくれた母親に感謝している。 ことに、 秋の新米の味は格別のものがある。 何杯も『おかわり』出来るんだが、 カミさんもこの新米の時期だけは『もう半分』と差し出しても文句を言わない。

 佐藤辰児先生との邂逅

 若い先生方には、 もう佐藤辰児先生をご存じない方も増えてきているかも知れない。 退職されて12年にもなるから。 いくつかの小学校で教壇に立ち、 最後は広田小学校や松帆小学校の校長をされ、 退職後は学校厚生会淡路活動センターの所長さんも務められた。

 彼と私との出会いは、 奇遇と言えるようなものだった。 もう35年になる。 
 私が明石の小学校から榎列小学校へ転勤した年の4月末。 学校ではPTA主催の『職員歓送迎会』が志満屋で催された。 当時の私は車に乗れず(明石ではその必要性がなかったから)『カブ』で通勤を始めた。 その頃でも榎列小の職員で車に乗っていないのは、 山岡校長と私だけ。 校長先生は賀集から、 私は阿万からカブを飛ばした。

 4月の風は冷たい。 私はカブの前に風防ガラスを取り付け、 ヘルメットにも風避けのガラスのマスクを付けていた。

 あいにくその晩は雨がしとしと・・・。 宴会が終わりカブで帰っていた時、 ちょうど市の旧『電電公社』の前にさしかかった時だ。 急に街灯の光がなくなり真っ暗闇になってしまったのだ。 ドスン! と、 気が付くと、 私は運転したままのかっこうで、 横の溝に落ち込んでいた。 幸いけがはなく、 カブを引き上げようとしたが、 私の力では溝に落ちたカブがどうしても引き上げられない。

 思案して、 近くに妻木先生のお家があるのに気付いた。 カブの免許を取るまで、 市までバスで来て、 妻木先生宅まで歩き、 学校に送ってもらっていたのだ。

 しかし、 出てきた奥さんは『二次会に行ってまだ帰っていない。』とおっしゃる。 そこでまた思案の後、 同じ市で佐藤恭子先生がいることに気が付く。 妻木宅の電話を借りて佐藤先生を呼び出すと、 幸いにもお家はすぐ近くだという。

 事故現場に来てくださったのは、 恭子先生のご主人、 辰児先生だった。

 専従書記長として

 それから3年後、 佐藤辰児先生は、 兵教組三原支部の初代専従書記長になられた。 それまで洲本支部に配置されていた専従枠を三原支部が受け継いだものだった。 その2年後、 何と私が彼の後を継いで2代目の専従に抜擢された。 『抜擢』とはカッコいい言い方だが、 なり手がなかったから、 私にお鉢が回ってきただけのこと。

 その後、 彼は兵教組本部の法政部長として本部執行委員を3年間務められ、 私も彼の後を追うように、 本部の教育文化研究所事務局長として2年間単身赴任した。

 35年前の『カブ』が取り持つ、 彼との奇縁、 くされ縁である。 いい兄貴分として私はこれまで可愛がっていただいた。 感謝しております。
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ