こんばんは、久々の更新で申し訳ありません。
前回の更新が、2014年2月4日に監査報告をさせて頂いてからも
毎日の仕事に追われる毎日でした。
そんな状況の中、2014年、12月に母が肋骨あたりに痛みを
訴えて、あまり身動きが出来なくなり、病院でレントゲンも撮り
診察してもらいましたが原因が解らず、そのまま自宅で様子をみてました。
今思えば、この時に骨粗しょう症だったのかなと思います。
最初の症状が、衣装タンスを開ける時に痛みが走ったそうですからね
それから、寝込んでしまいました。
高齢の親をかかえる子供としていろんな知識を持ってなければならないと
感じたました。この時に、骨密度でも調べておけば、
今の状態は避けられてたのではと後悔先に立たずです。
年明け正月に調子が悪くなり急遽病院で診察してもらったら入院する事になりましたが
正月は当番医なので、一度退院させられました。
え〜〜〜何で??母は体に痛みもあり、熱もあるのに、何で退院させるのかなと???
患者の状態ではなく、医師の都合、病院の都合で、患者への対応が決まるのか??
な〜〜んか、不満ですね。
退院後、家で養生してましたが、また、急に状態が悪くなり病院へ行き診察してもらったら
看護師さんの動きが慌ただしくなり、医師から説明があり、すると肺炎を起こしてると
聞かされ、今から宮崎市内方面の病院へ転院搬送しますと言われ、救急車に乗って高速を走り
転送先の病院で診察、検査を受けた結果、医師から聞かされたのは、非常に悪い状態ですよ、
そんなに長く持たないと言われ我が耳を疑いましたが、事実でした。
先生の説明を聞きながら頬を熱く流れるものを感じました。
それから、兄弟に連絡して状況を説明して来てもらいました。
3日から7日が峠と言われるなか、炎症を抑えるために毎日抗生物質の投与が始まり
最初は、CRPの数値が、2000くらいあったのが、少しずつ減りだして、何とか
峠は越しました。
初日は、バタバタで何も入院の用意が無く、家に帰り仕事が終わってから、着替えなど
必用な物を届ける毎日が続きました。片道50分高速を車を走らせ病院に到着が
9時、10時になり母親の顔を見て用事を済ませて、帰るのが11時、12時になり
眠い時には、病院に駐車場で仮眠してから、高速を帰る毎日でした。
高速の反射板が四方に光を放ったように見えて眩しくて運転が辛かったですね。
毎日の病院通いも1ヶ月になろうとする頃、母の意識も戻り始め、血液検査の数値も
正常になり始めましたが、でも、寝たきりで起きて歩ける状況ではありませんでした
1ケ月も病室の中で天井を見ながらの治療にも限界があるのか?鬱かノイローゼみたいな感じになり
それに、紙オムツにも嫌がりだし、自宅に帰りたいと言い出して、最初は言い聞かせて
納得させてましたが、とうとう帰れないのがストレスになり、2〜3日食事をしなくなり
本人は帰りたい帰りたいで、食事も摂らなければ衰弱してしまうばかりで
先生に相談したら家族が診るなら帰っても良いと許可は出ました。
寝たきりで、自宅で世話が出来るかは不安でしたが、このまま、病院でご飯を食べなくて
衰弱するなら、家に連れて帰り、家で看取ってもいいかなと私も覚悟を決めて、車に抱えて乗せて
病院を後にしました。
家に帰り着いて、母をベットに寝かせて、
それから、牛の世話、仕事が終わったのが・・・・何時だったかは覚えてない?
かなり遅い時間だったと思います。
次の日から自宅介護生活の始まりでした。
朝の牛の世話、搾乳諸々が終わってから親の世話、父は認知症、母は寝たきり
午前中は食事とトイレの世話で昼からやっと仕事が出来、あっという間に夕方の牛の世話
暫くは、紙オムツ生活、それから少しずつ調子が良くなってポータブルトイレで
でも、夜中に何度もトイレ介助、そんな生活が続きました。
それから、段々調子も良くなりましたが、今度は、転んで体が痛くなり、それが良くなったかなと
思ったら、ちょっとした事で体に痛みを訴えだし、また、紙オムツになり、少し良くなって
ポータブルで用事たし、でも、介助付きで夜中に何度も電話で呼び出しがあり、一晩に4〜5回の
トイレ介助でした。そんな生活が続き、昨年の6月7日に朝の介護世話が終わって疲れて横に
なってたら、突然、目の前のものが回転しだして、え〜〜〜何かおかしいなと思い立ち上がったら
何と天井が回りだし、周りの物が回り始め私は立ってられなくなり、そこらへんの物に捕まってたら
今度は、気分が悪くなり、酒を飲んでもないのに、目が回り、気持ち悪くなる、嘔吐し始め、
フラフラ・・・・ゲロゲロ状態でした。
これは、やばいと思い、近くの病院へ行き診察してもらい、点滴してもらったら、何とか症状も
治まり、昼には調子良くなり、車で買い物まで出来たのですが、次の日の夕方の仕事してたら
また、目まい、起立不能、フラフラ、ゲロゲロ・・・・これは、も〜〜〜やばい、脳の血管でも
切れてると思い、少しは意識があったので、牛の世話を2名に頼んで、自分で救急車を呼んで
市内の大きな病院に運んでくださいとお願いしたのですが、前日に行った病院に運ばれて
また、点滴をして、暫く横になってたら、少しは回復したけど、体はフラフラしてました。
で、次の日、大きな病院で色々検査してもらいました。血液検査、CT、目、耳の検査しましたが
メニエールっぽいけど、そうでもないねって判断で確定的な検査結果は出ませんでした、
結局、睡眠不足、過労なのかなと自分の判断でした、でも、フラフラは治らず、10日位は仕事が
出来ず、酪農ヘルパーをお願いしました。でも、それ以上は人員を派遣出来ないって事で、フラフラ
しながらの仕事でした、勿論、病院の薬を飲んでましたがフラフラは、なかなか治まらず
近くの薬局に相談したら、車の酔い止めを飲んだらって、進められたので、酔い止めを1日に朝夕
2本で、10本くらい飲んだらだいぶ治まった気がしました。
う〜〜〜ん、色々試してみるもんだなと思いました。
その後、介護ヘルパーさんに身の回りの介護をお願いする事にしました。
それからは、随分楽にはなりましたが、仕事に介護に忙しい毎日を
過ごしておりまして、仕事、介護を終えて晩御飯食べたら、そのまま
ダウン爆睡・・・・いや、たまに夜中に起こされる事もありで
ブログの更新も出来ない状態でした。
この間にも、電話、メール、お手紙を頂き、ブログにも訪問して頂き皆様方には
感謝、お礼申し上げ、ご心配をおかけして大変申し訳なく思っております。
これから少しづつでも、ムッチー牧場の状況や写真なども掲載してまいりますので
今後とも宜しくお願いします。
文章の中に、誤字、脱字、不適切な表現がありましたら、お詫び申し上げます。
申し訳ございません。
和牛ETの誕生です。
初の和牛登録検査前の手入れ中です。


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