新潟市議会議員 ナカヤマヒトシ 中山均 新潟市政
■新潟市議会議員4期目の中山均です。
現在、このブログは過去の活動資料用に維持するのみで、最新の報告は
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■以下は2015年4月、市議会議員選挙に向けて書いた記事です。
2015年春−
市議会議員選挙が始まっています。
これまで私は、入札制度改革、災害対策、環境、介護福祉、地域経済や雇用などさまざまな具体的な課題に取り組んできました。
私がいなければ実現できなかった施策や取り組みも少なくありません。
そうした具体的な成果をこれからも活かしつつ、3期目の議員活動を展開したいと思います。
しかし、そうした具体的な課題や施策とともに、政令指定都市でもある新潟市の市議選では、政治や地域社会のあり方に対する考え方や理念も語らなければなりません。
この春、あの「3.11」から4年を迎えました。
犠牲となった方々やそのご家族、今なお困難な生活を強いられている方々に、あらためてお見舞い申し上げます。
4年前の3.11翌日、私は仲間たちとともに救援物資を車に積んで福島に急行、いわき市の小名浜などを訪れました(報告は
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地震と津波の爪痕の生々しい被災地の光景、災害に向き合う人びとの営み、帰りの車中のラジオで聞いた原発建屋の爆発のニュースなど、鮮烈な記憶は今もはっきりと残っています。リーフレットなどにも書いた通り、その時の経験は、私の二期目の議員活動の原点ともなりました。
大地震を契機に起きた原発事故−。環境を汚し、いのちや健康を蝕み、地域や家族を切り裂き、多くの人々の人生を破壊し、今もなお深刻な影響を与え続けている現実に、日本の政府と社会は真剣に取り組まなければなりません。
加えて、「3.11」が私たちに突きつけたのは原発問題だけではありません。問われているのは社会や経済の根本的な転換であり、自然環境や地域や人々と のつながりを大切にする暮らしのありようです。
また、大自然の脅威と核事故の前に、エネルギーや資源や経済的利益を奪い合う争いがいかに無意味かというこ とも、多くの人たちが学びました。
「3.11」を経験し、私は新潟や全国の仲間とともに当時準備していた「緑の党」の結成を早め、仲間とともに2013年の参院選に挑戦しました。私たち自身の力不足と、選挙制度の高いハード ルに阻まれ、議席を確保することはできませんでしたが、日本における新しい政治への挑戦は、時代が必要とするものであり、世界と未来の人々への責任であると確信しています。
私の所属する緑の党の挑戦だけではありません。新潟では自らエネルギーを創り出す試みが始まっています。全国で、社会や経済のありようを問い直し、これまでとは別の道を探る数々の挑戦が、互いに目配せや声を交わしながら、動きだしています。
私は、そうした数々の試みや挑戦と連携し、この市議会議員選挙で「質素でも心豊かに、地域や世界の人びとと共に生きる未来」への道筋を掲げ、私たちの暮らしの切実な課題に向き合う政治を地域から実現・発信します。
さらに、想いを共有する全国の市民や議員やグループと連携し、人類が歩むべき方向とは真逆の道を歩んでいる安倍政権に対抗する声と力も強めていきたいと思います。
私と仲間たちの挑戦に力をお貸しください!
「3.11」から「緑の未来」へ!
■中山均・政策活動報告資料

↑A4ウラオモテ・三つ折りです
2015市議選の状況はおもにFacebookの方で更新していきます。
↑2011年4月 新潟市議選 農家と話すナカヤマ。
↑2009.5.3「西区でピースウオーク」出発前。中央ピース旗の下で事務連絡中のナカヤマ。
○政務調査費2003-2007年の成果→こちらを御覧ください。
これからもよろしくお願い致します。

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