2009/4/26

『ワンダ』  映画

バーバラ・ローデン『ワンダ』
 1971年作品。昨日の日仏学院にて。前に書いた通り、長年気になっていた作品の1つ。
http://green.ap.teacup.com/nanbaincidents/595.html

 私は、『エリア・カザン自伝』(朝日新聞社)で、バーバラ・ローデンの夫であったエリア・カザンによる彼女の人物描写から察して、自立心にあふれた女性映画をイメージしていたのだが、事態はまるで反対だった。

 主人公ワンダは、あまりの生活力のなさから、夫に逃げられ、親権も失い、行き場をなくして放浪することになるが、その場その場で出会った男と体を重ねつつ、何となくその日をしのいでいく。だからといって、いわゆる娼婦に身を落としているわけでもない。
 きっと彼女なりに幸せをつかもうとしての、不器用な行動なのだが、うまくいかないのは、女は男との関係に永遠を求めるが、男は刹那を求めるからで、ワンダの不幸はそこにある。
 だから女=ワンダは男に対して徹底的に受け身であって、だから結局、出会った男の計画する銀行強盗にまで巻き込まれる羽目になる。

 『エリア・カザン自伝』という本は、カザンという人物の監督としての力量はともかく、彼の人格のつまらなさが何かにつけて透けて見える書物で、その言い分にどこかカチンとくることしばしばなのだが、『ワンダ』にはよほど興味なかったのか、ほとんど言及がない。
 と言うより、この作品に関してはほぼ全否定だ。ローデンはもうワンランク上のキャリアを目指して『ワンダ』の脚本を仕上げ、夫カザンによる映画化を希望するが、彼はそれを言下に拒否している。
 その理由を、「人生を見ていなかったからだ」(下巻 P.505)とまで書く。
 作品のヨーロッパでの成功後も、「映画を初めて書き下ろして監督し、独力でそれをやりとげた女性ということで評価されたのだ」(同ページ)と、ローデンとカザンのどろどろした夫婦関係はこの際おくとしても、作品自体の力はまったく認めていない。

 しかしそうだろうか。ワンダという女性の徹底的な逃避の姿勢(彼女がいつでも眠りこけているのは、人生からの逃避に他ならないと思われる)に、この時代のある種の女性の生き様を切り取る着想は、とても興味深い。
 70年代独特のザラリとしたフィルムの手触りが、ドキュメンタリスティックな表現にばっちりミートして、行き場のない女のドン詰まり感が見事に表現される。
 また主演を兼ねる彼女のきわめて貧相な肉体が(どこかソンドラ・ロックを連想したのは、気のせいだろうか)、なんとも生々しさを助長する。

 ワンダは犯罪に加担するわけだが、だからといって『暗黒街の弾痕』ばりの男女の逃避行になどならず、ぱたりとエンディングになるところがいい。それでいて全体は、ひとつのロード・ムービーになった構成もまた巧みだと思う。

 この幻の作品『ワンダ』を監督・主演したバーバラ・ローデンは、この9年後の1980年、ガンで他界する。ただ一本の長編作品。
 これも「カザン自伝」の情報によると、演技指導者としても活躍していた彼女は、『スーパーマン』に抜擢されたクリストファー・リーブの演技指導も行ったそうだ(ここで、「私にはどう教えたらいいのか検討もつかなかった」というカザンの書きっぷりも何だか癪にさわったりもする)。

(訂正)きのう、『グラン・トリノ』のエンディングについて、「海」とか書いてしまいましたが、「湖」の間違いでした。よく考えたらデトロイト市、というかミシガン州には海はないというか。大変恥ずかしい間違いです。ただ書いたことの趣旨に変更はありません。




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