2007/11/22

ピエール・ブーレーズ  

ピエール・ブーレーズ『現代音楽を考える』(笠羽映子・訳 青土社)読了

 一応、読むには読んだが、正直なところこれはまったく歯が立たなかった。複雑すぎて理解できないし、根本的な音楽的教養がたりない。

 1960年のダルムシュタットにおける夏期講習の講義ノートに基づくというこの本は、ブーレーズが執拗なまでに、セリーの働きと可能性を分類・整理したものだ。
 その作業において、自作曲やウェーベルン、ベルクらの作品の譜例を多数示しながら、それに解説を加えていく。けれど、その譜例たるやあまりにも複雑で、まるでわからない。

 そうは言っても、やっぱりこの本に目を通してよかった。ブーレーズはこれほどまでに厳密に考え、音楽の可能性を探ったうえで、かくも秩序だった作品を産み、演奏を残していたのだ。
 もちろん、どれほどブーレーズ(やシェーンベルグやウェーベルンやベルグ)が、厳密な理論にのっとって曲を作っていても、私はもちろんだが、そんな構造を耳で聴いて察知することのできる鑑賞者は、よほど特別な訓練をした人だけだろう。
 けれども、彼らの作る音楽の背後にある想像を絶する次元の思考が、その音を支えているかと思うと、また聴くときの姿勢も変わろうというものだ。

「聞き手に提供される音楽事象に対する聞き手の立場は、いわゆる音響学的なものによりも、聴衆の心理・生理学に依存しているからである。聞き手は、音響事象が生じる場所を取り巻くエリアの外側あるいは内側に位置する。最初の場合、聞き手は音を観察し、第二の場合、聞き手は音に観察され、包まれるだろう」(P.101)

 と書くブーレーズは、やはり聞き手のこともわかっているのだ。
 そのうえでこうも書く。

「こうして得られた知識の荷物は、私たちの重荷となるどころか、私たちの路銀として役立ち、私たちを思索へと駆り立てることになるだろう。何度も繰り返してきたことだが、音楽は芸術であると共に学問である。」(P.226)

 月並みな言い方になるが、かくも偉大な音楽家と時代を共にすることができ、しかもその生き姿と演奏に接したことがあるという幸運を改めてかみしめる。



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ