信夫山の岩谷観音磨崖仏様を拝観して以来、
磨崖仏や石仏のとりこになってしまった感があります。
お寺さんの仏像は、それぞれに個性豊かで、
仏性力や歴史力そして信仰力を強く感じることができます。
仏像は、お寺さんの本堂に安置されている木彫仏や金銅仏と、境内や霊場の岩肌や石面に刻まれた磨崖仏、線刻仏、そして境内におわす大仏や阿羅漢像などさまざまです。他に釈迦来迎の様子などを浮彫した板碑もあります。
福島県内には、改めて調べてみると、平安時代末期から江戸時代にかけて造られた仏像がたくさんあることがわかりました。
僕は、霊験な雰囲気が漂う境内で磨崖仏、線刻仏を拝観するのが大好きです。自然と一体化した境内の霊場的雰囲気のなかにおわす石仏様には、なんとも言えないありがたさを感じます。
昨日は、須賀川にあるひまわり君の実家に行ったついでに、本宮町(旧白沢村)の岩角山岩角寺と、須賀川市和田の磨崖仏を拝観してきました。
本宮町(旧白沢村)の岩角山岩角寺は、全山霊場で、すごかったです。
岩角山岩角寺は数多く撮影した写真の整理に時間がかるので、須賀川市和田の磨崖仏について、先にご紹介したいと思います。
須賀川市和田の磨崖仏様は独特の雰囲気をお持ちです。阿武隈川に沿った凝灰岩の崖面に彫り込まれた石窟内に阿弥陀如来様と思われる坐像を浮彫していますが、これは磨崖仏というよりは石窟仏と表現してもいいのではないかと思いました。
和田の磨崖仏(通称、和田の大仏)は、このような薄暗い杉木立の中におわします。
高い樹齢の杉が寄り添うように立っていました。
和田の大仏様です。
深く彫られた石窟内に阿弥陀如来様の坐像がおわしますが、
実は、これ、古墳時代後期の横穴墓を転用した石窟なのです。
ここはもともと、古墳時代後期の横穴墓群、
その横穴を鎌倉時代になって、改めて石窟として改造し、その奥壁に阿弥陀如来坐像を彫り込んだものなのです。
横穴は、仏像を納める厨子であるところの龕(がん)の形の石窟に改造されました。
阿弥陀如来様のお姿。
だいぶ摩滅していますが、特に胸の部分が削られている。
これは、大仏の乳首部分の岩を削って粉にして飲めば産後の乳の出が良くなるという地元の信仰で、多くの産婦さんが削った跡なのです。
これはこれで、民俗信仰の遺跡なのかもしれません。
お顔とふくよかな耳朶の輪郭が残っております。
こちらは、阿弥陀如来坐像の右側の龕形石窟奥壁に、さらに阿弥陀如来坐像が半浮彫され、隣に梵字が刻まれております。
梵字は「サク」で、勢至菩薩様。阿弥陀如来様の脇侍仏です。
真言は「おん さんざんざんさく そわか」
ホームページ『やさしい仏教入門 仏様の世界』より引用
参考にしたページ
http://tobifudo.jp/butuzo/13butu/seisi.html
周辺には、このように、古墳時代後期の横穴墓が遺されています。
こちらの横穴奥壁にも、如来坐像が刻まれていました。
奥壁に如来坐像が並ぶ石窟の上には、屋根形の溝が彫られ、両側には孔が並んで穿たれています。このことから、この石窟には、当時、庇が付けられていたことがうかがえます。
鎌倉時代に石仏群を刻んだ人々の歴史を感じさせてくれます。
阿弥陀如来様を拝観していたら、
光を感じ始めました。
まぶしい!!!
有難い、法の光なのでしょうか、、、
約800年前の鎌倉時代から信仰心ある人に降りそそいでこられたのかもしれません。
有難い、浄土の光なのですね。
南無阿弥陀仏
合掌
追記
鎌倉時代初期の名僧、明恵房高弁の『夢記』をテーマにした、河合隼雄先生の著書、
『明恵 夢を生きる』の文庫本、今日、手元に届きました。
考えれば、
和田の大仏がつくられた時代に生きた名僧をテーマにした本が、今日、手元に配達されたのも、これは仏縁だと思いました。
奥深い本です。読み進むのが楽しみ。