被災ミュージアム再興事業で、先週は富岡町歴史民俗資料館から搬出した考古資料から整理を始めました。
それぞれの箱に梱包されていた考古資料を開梱して、写真を撮って、写真台帳に記入して、レスキュー文化財一覧表に写真番号を記入する、そのような作業の繰り返しです。
富岡町の考古資料の中に、昭和44年〜46年にかけて発掘調査した小浜代廃寺跡の出土遺物がたくさんあって、懐かしくなりました。
僕も高校生の頃、小浜代廃寺跡の発掘調査に参加したのです。
僕が生まれて初めて参加した発掘調査が、高校一年の時の小浜代廃寺跡でした。
その時、僕も現場にカメラを持参して、モノクロ写真ではありましたが、写真を撮って、プリントした写真をノートに貼り付けていたことを思い出しました。
富岡町が原発事故の警戒区域となってしまった今となっては、僕の記録も、それなりに貴重な記録ではないかと思いました。
僕の部屋の押し入れを探したら、写真を貼り付けたノートが無事見つかりました。
こういう時局なので、とりあえずノートに貼り付けた写真をスキャニングして保存しておくことにしました。
懐かしい写真、
まさか、僕が高校一年のとき、こんな事態が発生しようとは、思ってもみませんでした。
それでは、当時の僕のノートをこのブログにて公開しておきたいと思います。
1969年に作成したノートの表題です。
小浜代廃寺跡の特徴について、何かで調べて、トップページにしたためていました。
あの頃、真面目に調べたんですね〜、、、
ここから写真です。
ノートに貼り付けた写真を400dpiでスキャニングいたしました。
ブログの写真をクリックいたしますと、800ピクセルの画像がご覧いただけます。
上の写真は、検出された掘立柱建物跡の一部です。
奈良時代の瓦の出土状況。
奈良時代の瓦が集中的に出土している場所を調査されている梅宮茂先生。
すでに故人となられておられますが、当時は福島県教育委員会社会教育課の主事をなされていて、小浜代廃寺跡の調査指導をなされていました。
僕が初めて覚えた考古学者の名前は、梅宮茂先生なのです。
後に梅宮先生は、福島県考古学会の会長をお務めになられました。
とにかく元気で、また、短気な先生。
考古学者って短気なのかな〜と、当時は思いました〜
小浜代廃寺跡の全景。
今は立ち入ることができなくなってしまった、、、
懐かしい風景です。
今から40年前です。
何かの柱穴???
奈良時代の瓦の集中出土状態。
柱穴の底に、礎石らしい礫が見つかりました。
大きさを確かめるのに、高校の生徒手帳を置きました。
この撮影の後、生徒手帳をこの場所に忘れて、
渡辺一雄先生が、僕の名前を呼んで、生徒手帳を届けていただきました。
懐かしい思い出です。
渡辺一雄先生と初めてお会いしたのも、この現場でした。
六葉重弁蓮華文軒丸瓦を生まれて初めて目にした、記念のカットです。
六葉重弁蓮華文軒丸瓦の美しさに感動しました。
高校一年生で、こんな貴重な奈良時代の瓦が出土したシーンを見ることができて、とっても嬉しかった記憶があります。
瓦溜まりにセットした水糸メッシュの木枠は、出土状態を実測するためのものです。
当時の建物の範囲から瓦が出土しています。
瓦の出土状態を実測している先輩。
双葉高校の史学部の三年生の方でした。
発掘調査初体験の僕は、図面を描ける先輩を大変尊敬いたしました。
東北大学の伊東信雄教授が調査指導に来られました。
伊東信雄教授のお顔を初めて目にできたのも、小浜代廃寺跡だったのです。
何となく優しそうな印象でした。
この歳から5年後、大学で伊東信雄名誉教授の考古学特講を受けるとは、思ってもみませんでした。
この日は、奇蹟的な出土遺物を目にすることができたのです!!!
何と、奈良三彩陶器の破片が出土。
確か、この出土が東北地方では初めてでした。
カラー写真でないのが残念、
感動しました!!!
続けて、2点目の奈良三彩陶器の破片が出土。
伊東信雄教授がいらした日というのも奇蹟的。
調査担当の山田廣先生が「伊東先生が来られると、このような大変貴重な物が出るのですな〜」と大きな声で感動を言葉になされておられた様子が、いまだに覚えています。
この写真は、埋込基壇と言って、方形区画の掘り込み地業を行い、そこに粘土を幾重にも叩き締めて重ね、版築となします。
このような基礎を造らないと、重い瓦屋根の建物は建たないのです。
小浜代廃寺跡、
奈良時代当時、瓦屋根の寺院は、個人の財力では建ちません。
官衙との関連があるはずなのですが、
今ひとつ、その性格は不明。
しかし、奈良三彩陶器片なども出土しており、当時としてはかなり重要な性格の寺院だったはず、
その遺跡も、今は警戒区域で立ち入りすらできません。
残念なことです。
今、僕たちにできることは、小浜代廃寺跡を含めた貴重な遺跡の記録と出土遺物を整理して、被災したミュージアムの再興に向けて努力することです。
そういった意味も含めて、僕の懐かしいノートの写真を公開いたしました。
これからも、頑張りますね!!!!!