東日本大震災からの復興はなかなか進まない最大の原因の一つは、東京電力福島第一原発の事故がいっこうに収束しないことではないでしょうか。
先日私がうかがった地域では、避難準備区域、居住制限区域などに指定され、県外から来ている除染作業員が毎日作業に通っていました。原発から放射能が垂れ流され続けており、当初考えていたよりも、膨大な量の汚染された土やゴミが出ているようです。汚染されたゴミを入れる黒い大きな土のう袋が、いたるところに積み上げられていました。
除染が終わっても、本当に返ってくる人がいるのか・・・避難している方からそんな疑問が出るのも当然です。
しかし、そんな中でも東電と政府は、様々な損害賠償を打ち切ろうとしています。
昨年末、東電と政府は福島県内の商工団体を集め、非公開で「原発事故に伴う営業損害賠償を打ち切る」という案を提示しました。
その内容は「風評被害を中心とする避難区域外の営業損害賠償は、東電が事故との因果関係を認めない限り2015年2月末で打ち切る。東電が因果関係を認めた場合でも2016年2月で打ち切る」というもの。つまり、明らかに原発事故によって営業が出来ない場合でも、これからは賠償しないという無責任な案でした。
これに対し、様々な市民や団体の反対があるなか、2月9日に国会でも問題点を指摘されたことなどにより、経産省は打ち切りの素案を見直すこととしました。現在、成案を整理するまでの3カ月間について暫定的に賠償期間の延長が行われていますが、余談を許さない状況です。
他方、避難区域内に職場があった人への減収分を支払う「就労不能損害賠償」については、先月で打ち切られることとなってしまいました。
これは、事故に伴って就労が困難となり、減収となった人が対象とされる賠償ですが、例えば、避難区域にある病院(南相馬市・小高赤阪病院、浪江町・西病院)では、休業に追い込まれたものの、事故が収束し帰還できた時の再開に備えて、職員を在籍させていました。そして、そうした職員への社会保険料などを病院が負担し、賃金が払えない職員の多くが東電からの就労不能損害を受けていました。
しかし、今回の就労不能損害の賠償打ち切りによって、この2つの病院は職員を解雇せざるを得ないと決定したそうです。これで避難区域にある4つの民間病院すべてが、一部の役職員を除いて職員を失うことになりました。こうした中で病院が再開できなければ、仮に放射線量の数値的に「帰還可能」となっても、安心して暮らせる地域の条件が無くなってしまうのではないでしょうか。
こうした賠償の打ち切りは、金銭的な問題にとどまらず、原発事故や放射能の影響の「過小評価」と表裏一体となっていることも重大ではないでしょうか。それは、これからの健康被害や、原発の再稼働・推進への道にも繋がっています。
例えば、昨年の12月21日には、南相馬市で政府の住民説明会が行われましたが、経産副大臣は「ホットスポット指定を28日に解除する」と一方的に説明しています。解除の理由は、年間20ミリシーベルトを下回ったことによるというものですが、説明会に参加した住民は「政府は一番低い所を選んで計測しているじゃないか」など、実態と合わないことを厳しく批判したそうです。
同市の行政区長らは「解除で生活支援策が打ち切られれば、線量の高い地域に帰還を強要されることになる」として、撤回を申し入れるよう市に求めています。
ご承知の通り、原子力規制委員会・有識者会議は「健康上に大きな問題はない」とする年間被ばく量の基準を、1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに作為的に引き上げました。しかし、経産省でさえ「追加被ばく線量が年間1ミリシーベルト以下となることを目指し」としています。
もう事故発生から4年も経過しています。いくらなんでもこれ以上、緊急時の作為的な基準を押し付け続けることが許されるのでしょうか。そして、曖昧なモニタリングで「帰還可能」にして、仮に健康被害が出た場合は、東電や国は責任をとれるのでしょうか?
さて最近、福島第一原発の排水路から高濃度の放射能汚染水が外洋に流出していたことが分かりました。東電は1年以上も隠ぺいしていたということです。「原因調査をして結果が出てから公表しようと考えた」ということですが、こうした態度が、事故収束や被災者の生活再建を遅らせていると言わざるを得ません。
私たちは、こうした課題をあらためて確認し、全国的な課題、そして自分自身の課題として共有することが必要ではないでしょうか。

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