2010/3/8  23:43

楊海英「墓標なき草原(下)」  本(中国・モンゴル)
楊海英さんの「墓標なき草原(下)」を読み終わりました(ちょっと前に読み終わっていたのですが、コレを纏めるのに少々てこずっておりました)。
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「墓標なき草原(上)」を読了後にも書きましたが、この中国の文化大革命中に起きたモンゴル人虐殺(未だに中国国内では隠蔽され続けている事実の模様)、中国に於ける少数民族政策の凄惨さは、筆舌に尽くし難いモノがあります(まぁ、文革中はモンゴル人に限らず、中国人同士の吊るし上げリンチ拷問虐殺等も頻繁に行われていたようですが…)。

筆者は内モンゴルに生まれたモンゴル人ですが、若くして日本に留学し、日本人の妻を娶られて帰化し、永年日本に腰を落ち着けて研究を進められたからこそ、中国及び諸外国の本件に関する文献の綿密な調査と関係当事者への直接聴取などを通じて、これらの事実・史実を冷静に(一部は感情的にならざるを得ない部分があるのはご本人も先刻承知済み)分析し、整理を行って結論付けています。

そして、中華人民共和国として、これらの史実は未だに清算・総括されていないし、今尚斯かる文革的な風潮は残っており、現在に於いてもこの「奴隷的」な扱い・見方等は変わっていないと言うのが実態のようです。

従い、この内モンゴルの悲惨な歴史の端緒を作った日本人として、また内モンゴルでビジネスを行う者として、キチンと事実を認識し、理解することが重要だと思います。

内モンゴルに関する近現代史を同書及びその他資料に基づいてカンタンに整理してみると、以下の通りかと思います(ややネタバレ的になってしまいますが)。

清朝時代満洲人の強い軍事同盟者だったモンゴル人達には準支配者の地位が与えられ、故郷である草原も手厚く保護されていた(従い、当時は漢族の草原流入は禁止されていた)
清朝末期:清朝弱体化により、長城を越えて草原地帯への漢族農民の入殖開始
清朝崩壊、中華民国建国:1912年。孫文により「駆除韃虜、恢復中華」のスローガンの下、漢族主導の中華民国を建国。モンゴル人は民族自決の道を歩まざるを得なくなる。
モンゴル人民共和国独立:1921年。但し、「ソ連の第16番目の共和国」と言われたほどの、ソ連一辺倒の傀儡国家
内モンゴル人民革命党成立:1925年に反帝国主義・反封建主義・反大漢族主義を綱領に成立。満州国により一時活動停止するも、戦後モンゴル人民共和国との統一合併を目指すが挫折。その後、内モンゴルが中国に組み込まれた後は、この活動に係ったとして多くのモンゴル人が粛清される憂き目に。
満州国建国:1932年、関東軍五族協和を謳い日本の傀儡国家を造る。満州国の日本式教育機関で近代教育を受けて育ったモンゴル族知識人らが後の民族自決で、一時的に活躍するも、最期は粛清されてしまう。
革命の聖地延安長征の最終目的地点であり中国革命の聖地延安では、ウラーンフーを始めとして延安派と呼ばれた「根元から紅いモンゴル族」の人々も養成され、後の有力勢力となる(が、この人達も後に粛清されてしまう)。
ヤルタ会談:1945年2月にルーズベルト(米)・チャーチル(英)・スターリン(ソ)が会談し、戦後処理につき話された。このヤルタ協定に基づき、ソ連傘下のブリヤート・モンゴルと内外モンゴルが統合した「大モンゴル国」設立を恐れる米ソの圧力により、モンゴル人民共和国と内モンゴル合併は幻と化す。
満洲国崩壊:1945年 ソ連モンゴル人民共和国連合軍による内モンゴル進駐により、日本は撤退(残留孤児の問題はこれが発端)。
内モンゴル自治政府成立:1947年、東モンゴル人民自治政府と内モンゴル人民共和国政府が統合させられた内モンゴル自治運動聨合会をベースとして、中華人民共和国成立に先駆けて内モンゴル自治政府成立。主席はウラーンフー。
既にこの頃、内モンゴルに於けるモンゴル人は漢人入植によりマイノリティに。
中華人民共和国成立:1949年10月1日、天安門で毛沢東により建国を宣言。内モンゴルの中国の殖民地化はこれで決定的に。
「プロレタリア文化大革命」発動:1966年。ソ連やモンゴル人民共和国などの修正主義国家との一戦は不可避と考えた毛沢東は、首都北京に位置しこれらの国々と陸路でつながっている内モンゴルが真っ先に戦場となると予想し、且つ中国に忠誠心のないモンゴル人はキレイに粛清しておく必要から、内モンゴルから文革をスタートさせた、との証言もある。
そして、その内モンゴルでの粛清にあたっては、大量虐殺はモンゴル人同士の「犬同士の喧嘩」、として清算されているのが実態とのこと。このヘンの詳細については、お読み下さりませ。
(内モンゴルの砂漠化も、漢人入殖による農耕が原因であったと言うことは、この本で初めて知りました)

この「墓標なき草原」は、内モンゴルで文革中に数万人のモンゴル人が犠牲となった凄惨な隠された歴史を、14人のモンゴル人の証言と史実を元に世に送り出したスゴい本なのであります。

実は、読了後に楊海英さんに対して自らの思うトコロ等を書き連ねたメールをお送りしました。
早速返信を戴いたのですが、楊さんが最初に見た日本人は東勝に来ていた合弁相手先関係の日本人だったらしく、この点に於いても何やら深い縁を感じてしまいます。
また、楊さんに連絡を取る前から、このブログのことをご覧になっておられたと言う点についても、少々ビックリしました。

最後に、この本の中で筆者がその内容を最も端的に語っていると思われる一文を引用させて戴きます。
現代内モンゴルの歴史は、その固有の領土が外部勢力の侵略を受けて分割され、政治的な陰謀に巻きこまれて大量虐殺され、伝統的な遊牧経済が跡形もなく消されていくプロセスだった。内モンゴルに侵入して殖民地を創った外部勢力は中国(漢人)と日本である。モンゴル人を分けて統治したのも中国と日本で、大量虐殺を働いたのは中国のみである。

繰り返しますが、内モンゴルでビジネスに携わる方々、必読です!

3

2010/3/9  20:11

投稿者:おおたま
RICARDOさま
勿論、モノゴトと言うのは株と一緒で上がれば下がるし、下がれば上がる。
これを繰り返して行く訳ですが、中国の勢いも盛り上がる時があれば、低調な時もある。
でも、結果を見れば、そんなこんなで同化が進められ、中華のチカラはどんどん増していくのではないでしょうかね?
でも、その内ネズミの集団自殺のようになって、スクラッチに戻るかも知れませんが…。

2010/3/9  16:00

投稿者:RICARDO
拡大する漢流はいずれ逆向きになるんじゃないですかねー。
このまま中国が存在していけるとは思いません。
from Mexico

2010/3/9  9:45

投稿者:おおたま
新橋MTさま
そうなんですよね、中国は周辺諸民族との戦いの中で征服したり征服されたりし乍ら、どんどん同化を進め、偉大なる中華民族(異民族を含む)を形成して行っているんですよね、歴史を振り返ってみると。
それに、この本を読んでて、日本の学生運動やカンボジアのポルポトによる虐殺なども文革の大きな影響を受けていた、と言うことを初めてしりました(ちょっと、恥ずかしいのですが)。
確かに、斯かる運動は意図的に広めようとしたあるヒトが、モノゴトの本質をキチンと把握しようとしない一般大衆を扇動して広まっていったものなのですね。
仰る通り、回りに流されるコトなく、自分で良く考えて行動しないとイカンと言うことでしょう(時代の風潮に逆らう行動は中々採り難いのは事実ですが)。

2010/3/9  9:29

投稿者:新橋MT
小説を読むような感じでは進めず、現在上巻の途中です。途中までで思ったことは、東北三省も清が中原を制覇したから、清崩壊後に中国の一部になってしまい。内モンゴルも清に協力清の一部、清→中国、中国の一部になってしまったんですね。中国の歴史(漢人の歴史)は夷荻に飲み込まれて、その後ひっくり返して拡張していくという感じですかね。そういう意味では、日本も過去中国を飲み込むことが出来なかったので、ひっくり返されなかったということですか。
 あと、文化大革命は当方小学生〜高校生の頃です。ダマンスキー島でソ連と小競り合いやったり、天安門に並んでいる順番で誰それが失脚したとかニュースでやっていました。隣の国は何やっているのかな?と思ったらいじめの大きいのをしていたんですね。それも漢民族ばかりでなく周辺の民族へも。当時の日本の大学生のお兄さんたちも革命無罪・造反有理など言っている人も居ました。どこから情報を入手していたんですかね。マスコミからですかね。情報というのは気を付けなければいけません。踊らされないように。自分で納得しないといけませんね。ハテ、自分でできるか?

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