エンピロのネタ箱 復刻版

いち早く世相をキャッチし、ユーモア・風刺で鋭く切り込む。話のネタづくりへあくなきチャレンジ。タイムリーなオチのある話であなたをエンピロの世界へ誘(いざな)います。

エンピロのネタ箱はあなたの知的ギャグライフを応援します。
寝タバコはお勧めできませんが、ネタ箱はイチ押しです。雑学ネタも満載。では、ごゆっくりと。

 

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投稿者:エンピロ
ダキさん 
確かに当日はショートヘアーの方が多かったように思われます。ショートカットでは近道になってしまいますねw

「怒髪天を衝く」ですか。私は気が長い方なので、そんなに怒ったことはないですねw 「本当かよお」と言われそうです。

http://green.ap.teacup.com/enpiro/
投稿者:ダキさん
大仏様が“パンチパーマ”だけに
会津若松市長を始め、塚本麻衣子さん、北会津支会長のIさんそれに教育委員会メンバー、皆さんショートカットの方ばかりですね。
こんあこと書いていると怒られてしまいます。
『螺髪展を突く』
投稿者:エンピロ
yukiさん 
読書家のyukiさんならではですね。徳一上人の本を読まれているとはさすがです。

徳一と法相宗についてはよく耳にしてきましたが、興福寺と会津の繋がりを少し覚えることができてよかったと思っています。

http://green.ap.teacup.com/enpiro/
投稿者:yuki
徳一上人 昔そんな本読んだ記憶があるなぁ
難しい事は分からないけど 文字だけ追った記憶
見学に行きたいと思いながら期間切れました(笑)
投稿者:エンピロ
メイの家さん 
確かに東国、北海道の先住民?は蝦夷と呼ばれて異民族扱いされていましたよね。

「常に勝つ」という地名ですかw 蝦夷相手に
勝つということなんですね。我が地区の神社の名前や字名などは奈良との交流を深く感じさせます。

寺を建てることが民衆支配や教化の手段の一つというのは間違いではないでしょう。さすが歴史に造詣の深いメイの家さんですね。

http://green.ap.teacup.com/enpiro/
投稿者:メイの家
徳一の時代、会津はまだ蝦夷の勢力範囲が相当残っていたのではないでしょうか。
例えば南会津や耶麻方面。
常に勝つという名前が、何に対して勝つのかと言えばこの地では蝦夷しかなく、奈良から見れば「最前線」の地であったことを物語っているのか思います。
ただ、盆地の中は安定していたから寺も建立でき、都とも行き来できていたとも思います。
神社仏閣は、民衆支配、或いは教化の一つの手段でもありました。

というのが私の説ですが、機会があったらこの説を質問していただけたらありがたいです。(笑)

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