きょうは
分家(新宅)のば
あちゃんAさん(70)の
告別式。隣町の
M葬祭斎会館でしめやかに執り行われた。
Aさんは
3日前の朝、車を運転していて
交差点で車両事故に遭い、不運にも帰らぬ人になってしまった。我が家からわずか
400m離れたところである。Aさんの自宅からも
500m。私も
毎日通勤に使っている場所である。
衝突した箇所は、
県道と村道の信号機、標識のない交差点。地区の
交通安全協会が設置した
「とまれ」の
看板があるだけ。多くの人が危険な場所と認識し、
「止まれ」の
標識が欲しいと思っていた箇所だ。それだけに悔やまれる。Aさんが村道であるから、
左右不確認等過失割合が大きいだろう。詳しい状況は分からないが、
相手の女性運転手(37)が
軽傷であったのがせめてもの救いだ。
Aさんは、我々
伊勢講仲間でグアム旅行に行ってきた
THさんの
母親。突然の不幸に家族の
ショックは大きかった。地区住民にも表現のしようがない
衝撃が走った。
この地区で交通事故で亡くなったというのは今だかつて聞いたことがない。
喪主の
Hさんは自宅からの
出棺のとき、見送りにでた地区の人達に
挨拶をしたが、
涙でことばにならない様子。回りが
もらい泣きしてしまった。
霊柩車はホーンの音を残してながらとともに葬儀場に向かった。
私のきょうの
お役目は、今年3回も携わって慣れた
僧侶の送迎。予定通り
11時30分に
会津若松市にある
E寺に到着し、住職親子を乗せてM葬祭斎会館に向かった。
12時10分過ぎに到着する。参列者もかなり来ている。花環もかなりの数が並んだ。
12時30分導師入場で告別式が始まる。
導師は
E寺住職の方丈様、
脇導師は
若和尚様。いつものように
読経のハーモニーが広がる。30分以上読経が続き、終わりかけのころ、
受付係から応援要請が入った。香典の数が多く、記帳を手伝ってほしいとのこと。
控え室に入ると、確かに
香典袋の山である。結局、お別れの言葉、喪主挨拶とか山場は見ることはできなかった。棺を載せた霊柩車が2時30分近くに火葬場へ向かった。私も方丈様、若和尚様を乗せて霊柩車に続いた。私は
棺が焼却炉に入れられるときが1番辛く思える。2時間くらいかかると係の説明あった。
私は、ご住職らを一旦若松のE寺に送り、5時30分からの
「斎(とき)の使い」「ご大儀振る舞い」のため、また方丈様を迎えに行った。火葬の方が予定より時間がかかり、会食は5時50分過ぎに始まった。
香典受付係は集計、記帳が終了せず遅れての参加となった。
この席で、何人かにお別れの言葉、喪主挨拶の内容を聞いた。
内孫、外孫8人によるお別れの言葉は
20分以上に及んだという。こどもたちの言葉に飾りはない。
参列者の涙を誘ったことは言うまでもないことだろう。今年高校を卒業した孫の
Tくんは
「ばあちゃんとは、毎日お休み、おはようと声を掛けてきた。たまたま、その日は僕が寝坊をして挨拶ができなかったのが残念だった」と話したという。また中学生の
Kさんは
「ばあちゃんが面倒を見てきたウサギの世話は私がやるよ。ばあちゃん、ほんとうにありがとう」涙ながらに呼びかけたそうだ。
喪主の
Hさんは
「突然のことで言葉を失ってしまった。正直なところ、まだ母の死を現実のものとして受け止めることができない。しかし、相手の女性が軽傷で済んだということは、母が犠牲になって、すべてを背負ってくれたということだ。母の生き様に感謝をしたい」と気丈に挨拶をしたという。
T家の1日も早い
立ち直りを願いたい。
幸せな生活が早く戻ってほしい。また、事故現場に
標識が立って、2度と悲惨な事故が起きないでほしいと願わずにはいられない。

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