2015/11/26

偉い!褒められる事を良しとする教育  ふと思いついた事。

まだ幼い時にされた教育、日常での接し方による概念はなかなか消える事ありませんよね。

良い事悪い事含め。

その悪い事が致命的だと独りではやっていけません。

ですので致命的になりそうなことを是正する作業が必要になります。

悪い概念。このことをふ、と思ってこの話題を書こうと決めました。

「偉い!」と褒められる事を第一とする教育方針です。

1)相手から一方的に暴力を振るわれても反撃をせずに耐え抜く
→よく我慢した!偉い!

2)テストでよい点数を取る。
→よく勉強した!偉い!


「1」の場合はなんとなくその危なさがわかります。一方的に攻撃されても反撃をせずに泣き寝入り、保護者がいない場だと助けてくれるヒーローがいない限り損、傷つくだけの状態。

「2」の場合ですが、問題なのは「偉い!」と言われる事を第一目的とした場合。

「偉い!」と誉め称える側はこれからも勉強を頑張るようにと褒め続けるでしょうが、なんで褒めるのかを具体的に説明しないと子供は勘違いする可能性が高い。
(点数が高いのは勉強を頑張ったためで自身のために頑張り努力できる能力を身につけたことに対して褒めるとかなんとか)

「人に褒められることが目的の努力」というのは非常に虚しい。

幼児期なら靴ひもが結べただけでも達成できますが、20歳を越えると「〜グランプリで優勝!」レベルではないと純粋に褒められません。

まして褒めて育てられ褒められる事を第一目標とした東大生となると・・・・大変ですよね。

だから、単純に伸ばすための褒める、ではなく自信をつけさすために必要な部分、過程を見極めて褒める必要があります。

そう考えると褒めるは大変難しい。

ただ、「褒める」でも難易度が分かれる事柄があります。

1)自身の能力と比べ(圧倒的に)凄い事を成し遂げた人に対して

2)自身の能力以下の人に対して(自身が既にできる事柄をできるようになった人に対して)


こう、極端のようですが、言語化して分けてみると一目瞭然ですよね。

教育というのは「2」に当たります。テクニックが必要です。

そして親が子へ褒める「2」から「1」へ移った時、それは教育ではなくもはや第三者の感想となるのです。
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