2018/1/15

りはめより100倍恐ろしい  ふと思いついた事。

木堂 椎(こどう しい)著作。


100倍恐ろしい、ということはなかったですね。

文章内に説明されていた「なぜいじりの方が辛いのか」は

「いじめは被害者にも責任があるから。人間関係を疎かにしたりとか。」

ということ。

いじめは「悪い事」だが、だからいじりの方が恐ろしい、とはならないです。

はっきりと否定しますが、いじめの理由に「被害者に理由がある」は稚拙です。

「注意をする」「アドバイスをする」「干渉をしない」等の様々な選択肢があるなかで選んだんですから。

わざわざ加害しなくていいんですよ。いじめが与える人間の屈辱を軽く見過ぎです。

高校生の主人公の心情なので、所詮高校生だな、と冷めた目で見るくらいが良いです。



物語としてはかなり楽しめました。

ページ数約200、2時間少しで読破。

終盤は本当に集中できました。コンビニ人間以来です(約1年ぶり)。

ペーズ数に対して字数が少ない、話し言葉の割合が高いとすぐ読めますね。

「速読した!」と錯覚に陥る、なんとうか達成感を獲得できますね!



いじりは酷いという心情は僕もあり、共感できる文章もありました。

「人気者といじられは紙一重」

「人気はあるが異性には恋愛対象にすらならない」

ただ、説得力がないのが明らかに「いじめ」に発展しているという事。

なんというか「いじりの問題はいじめに発展するから」という事例しか示されていない。

つまり「いじり」と「いじめ」の区別がはっきりしておらず、いじめの出発点がいじり、というような。


いじりの良い点を排除しているので余計、頭を傾げますね。

「いじり」の許容はお互いの信頼関係を要し、気軽にその場を盛り上げられるという作用があります。

この「気軽にその場を盛り上げられる」というポイントだけに絞ったのが本著ですね。

信頼関係というのは「友人」とかではなく、

・その場だけの「ノリ」として完全消費
・関係ない第三者が関与しない。
・傍観していた第三者が影響を受ける心配が無い。

この3点です。

飲み会でいじられた事を翌日「あいつさ昨日こうやっていじられたさ〜」というのは御法度。

「○○さんがいじった時はちゃんと反応してくれたのに、私の時は反応してくれない。」訴えも邪悪ですね。

その場のノリを掴めなかった当人が悪いだけです。


このように、いじりはスナック感覚のコミュニケーションとしては有能なんです。

しかし本人が嫌がるといじめになり、持ち越すとこれもいじめに繋がる。

あの時の楽しさをもう一度、というような懐古は一切受け付けられないのです。


いじりはいじめに繋がるという事を強調したこの小説は、問題提起になるので大勢の方に読んでもらいたいですね。



最後の胸くそ悪さ


因果応報とかいいたいんでしょうか。

ただ胸くそが悪い。

復讐心はわかりますが、復讐による恍惚に魅了されたあまり、部内の今後よりもその場の楽しみを優先させる。

同乗できませんよ。
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