2018/3/31

勇気ある行動とは周囲の存在ありきの概念なのではないか。  ふと思いついた事。



「勇気」ってなんですか。

根性と共有しているところもありますよね、無理を押し通すところとか。




僕の場合は、タイトル通り、周りに責められても馬鹿みたいに自分の考えついた初期段階を維持して行動すること。

また失敗をしたときのリスクを覚悟の上での行動。

僕の場合のリスクは名声、周りからの評価が一番に思いつき、またこれが最たる理由だと思います。

なぜ思いますと曖昧表現なのかというと、もっと核心を突く理由があるのではと疑っているからです。



僕は孤独に対してダメージは少なく連絡帳は少ない方が良いです。

僕よりも孤独がもっと好きな人は居ますが、大抵は僕のことを異常者だと見なします。

なぜ人よりも耐性があるかというと「他人の目がない」というメリットが非常に大きいからです。

これにより「行動」の敷居が下がる、つまり勇気を発動させなくてもいい行動が増えるということです。


多くの人がそうですが例えば「オナラ」は人前にするのは勇気がいりますよね。
(人前でも勇気が必要ないのはどうかと思う例でもあります)

映画をみて「すげえ、おもしれー」と声で出しながらみるとか、寝転ぶとか。

人前で寝転べますか?僕は怖くて寝転べません。




女性が苦手なのですが、それは男性よりも「勇気」を必要とする行動が増えるからだとも言えます。

僕は現在、未だ小学生の時に培った女性に対する偏見が抜けません。

それは少しでも気に食わないことがあると仲間内で報告し合い本人に「きもいー」と言うことです。

つまり他人のマイナス点を共有することを楽しみにしそれがコミュニケーションとして成立している。

かなりステレオタイプな見方だとは思いますが、これが怖過ぎて素を見せるというのが無理です。

できる限りキャラを作りマイナス点が露呈しないように気遣っています



これからはあえて勇気が必要とする行動をとって行こうと思います。

恐らくこれで気づくのは勇気の有無で行動自体の意味合いが変わらないということを実感するのではないかと。


つまり、勇気は「自分の中」だけであり行動に対する周囲の反応・価値というのには無関係。

人前でスピーチをしたときのギャップからの想起です。

全く緊張していないのに持ち前の吃音症で吃りまくった結果「緊張し過ぎ」といわれ「でも人前でスピーチするときは勇気いるよね」とフォローされた経験から。



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