2018/4/16

「だけで暴力はダメ」という腑に落ちない表現。  ふと思いついた事。

◆暴力最高!ということではありません。

暴力はダメ、と正義の鉄槌を振りかざす感じがいけ好かない、という個人的価値観です。

どこはかとない他人感を醸し出している、とりあえず言っておこう正しくないはずはないのだから、みたいな。


そんな簡単に済ましていいの?っていう疑いですね。

「〜で腹が立つのは分かるけど、暴力はだめ」

このパターンもいやですね。具体的な理由があるようで全くないです。

しかも理解力がありますよと抱擁力を示している風なのが質が悪い。


◆「じゃあどういえばいいんだよ?」ってことですが。

とても面倒ですが僕はなぜ暴力がダメなのか一人一人ちゃんと付せて説明して欲しいです。

「違法性があるから」は法律信じ過ぎだろ!って思いますし、「相手を傷つけるから」は言葉もそうだろ!とか。

説明があるだけ大分マシですが。



◆僕が暴力をダメだとしている理由

痛み・怪我の出現は勿論で精神的抑圧性が高いからです。

暴力を許すということは「許さざる負えない」状況であり、相手に逆らうことが難しい状況。

相手の機嫌を伺わなければならない、反抗できない、仕事ではなく暴力を受けないためという最悪な環境になるからです。

見事反抗が成功しても、もっと酷い暴力を振るう可能性があり、これも精神的ダメージを逐一蓄積させていきます。

◆暴力性に訴えた相手に対して安心を得るには

・もう二度と会わない環境づくり

・こっちが圧倒的に支配できる立場になる。

という、ハードルが高い条件が必要。

暴力に対して暴力で訴えると早めに「殺し合い」に辿り着く。

「警察に相談」もまぁ結構な労力ですよね。

暴力を振りかざす相手と二度と会うことがない絶対的な保証がないと生活不安になるんですよ。

実際地球の反対側にていもふいに会う可能性がある。

そんな万が一の可能性があれど不安は拭え切れない。

暴力にはこんな恐ろしさがある。



◆やっぱり「〜はダメ」だけではいただけない。

「そんなの当たりまえだよ、みんな分かっているよ。だから「ダメ」だけでいいんだよ。」

には欺瞞が満ちあふれていますね。

そんな全体的な共通見識があるのか?と。

面倒だから、で回避してはいけない話題であり「暴力はだめ」は子どもが大人に一方的に叩き込まれた洗脳概念の匂いがあるんですよ。


個人的観念を具体的に長文になってでも説明するのは、その人の自尊心を守る行為です。

人間一人一人能力がちゃんとあるのだから簡単言葉で済ますのは己自身への否定行為です。

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