2018/8/18

人間関係は面倒が丁度いいという現時点での持論  ふと思いついた事。




友人=付き合いが面倒ではない人、を指す、というか理想ですが。


人付き合い=面倒なので僕は嫌いなのですが、この面倒こそ「いいブレーキ」として機能しているのではという推論。

いいブレーキとは、気を使わなければならないから面倒という機能、つまり相手の尊厳を尊重するという意思の発露が確認できる。


付き合いが面倒ではない、というのはこちらが失言しようが悪口言おうが気にしない相手、と僕はそういう一面があります。

つまり簡単に人権を踏みにじることができる相手ということ。

以前から抱えた問題ですが「僕は相手に嫌なことは嫌だと言えるような接し方をしている」という欺瞞があります。

「人権侵害発言をしているが、相手は忠告してこないので冗談として通っているだろう」と思い込む。


相手からすると「細かな忠告は人間関係を悪化させる、相手の気分を害する恐れ。」「相手の発言の尊厳を守るためにここはスルーしておこう」という考えを全く考慮しておらず。




「人付き合いが面倒ではない」=「相手に負担をかけても何も傷つかない」ということになります。

「面倒」のいい面です。「なぜ面倒なのか?」を深掘りすることで新しい側面、「面倒でよかった。」と思える。

面倒は必要な思考、概念なんだな、と。



人付き合い=面倒なのは正常な人付き合いができている証です。

と、いうのは暴論で、当たり前ですが度合いがあります。

まだまだ考える必要があります。

程よい面倒さ。めちゃくちゃ難しい。

度がすぎる面倒な人は、重荷を降ろすために雑に払いのけることも必要。



書き終えてたどり着いたのは、「全く面倒ではない」も是正する余地があるんだな、と。
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