2018/8/24

任天堂のUIの話を読んで自分の傲慢さを恥じました。  ふと思いついた事。

https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1139303.html


制作側の内幕を知ると

・自分の知能の低さ

・傲慢さ


に辟易としてしまいますよね。

「新たな発見!」「俺はここが好きだ(ふふ目の付け所がいいだろ)」
・・・というのは実はそう思わせるように設計されているという真実。









「さすが任天堂!」はもちろんですが、ここまでオープンにするということは他社も当然やっているということ。


「少し文章を読んだだけで全て理解できる、つまり自分は文章力が高いんだ。」
・・・という悲劇の傲慢は数多く生まれてきたという事実。







制作側からすると・・・

「どうせ全文読まないだろうが省略すると『設定が薄い』とかクレームつけるだろ。長文を入れ込むがちょっと読んだだけで全て理解できるような満足感を感じさせる設計にしてやるからな。」

<つまり>
内部を知らないゲームプレイヤーは全員大仏の手のひらで「自分は神だ」と悦に浸っている状態に陥らせている。







学問の試験、センター試験や中間テスト等にも同じような考えが生じたことがあります。


<つまり>
「答えがあること前提に設計された問題」を解いている、「答えさせるための問題」を提供されている。

・・・「この問題を解けた俺すごい」「ここを発見した俺すごい」といような「自画自賛」は設計側からすると「織り込み済み」である。



センター試験の現代文は無勉でも9割余裕勢がままいますが、これは「無勉でも高得点取れるように設計してある」と見て取れる。

これが落とし穴で、受験から十年経っても「自分が読解力が高い」という根拠に使われたり。
一種の洗脳ですよね。「〜の能力が高い」と思わせる。


ただみんながみんなそれを信じていたらもはや「まごうことなき真実」になるので実際人生をポジティブに持って行ってくれる。





サピエンス全史の偉大さがまた光放ちましたね。

「人間は虚構を信じることで繁栄をした。」
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