2018/9/16

これからますます「他人に対する無関心さ」の価値が低くなる  ふと思いついた事。

ハイスコアガールを見ていて。

ゲーセン文化はもう廃れていて、オンライン対戦が主流な今。

ゲーセンがきっかけで知り合う、顔と顔を合わせてコミュニケーションをとる手段が減っていってるな、と。

僕自身はそっちの方が嬉しいはずなんですが、何か虚しさを感じます。

それは「当たり前」となったからかな、と。






「当たり前の環境」に抗うことで価値が出る、という考え。

箸でご飯を食う、なんて当たり前で他人のその行為を見ても何も感情の起伏はない。

しかし手で飯を食す時代では「特異」とう価値がでる。








タイトルにある無関心について。

ネットでのコミュニケーションが主流、人に頼らなくても生きている時代へと進んでいる。

他人への無関心さが自然と増していっている。


つまり、人との交流が盛んに行われている中での「無関心」は特殊能力だったが、未来そうでなくなる。

僕は「他人への無関心」「注目するもののみに視野を向ける」人に憧れを持っていました。

ハイスコアガールの日高さんもそうです。ハルオを傾かせるためにゲームに力を注ぐ。







しかしこれが「当たり前」となるので自然と自分にも備わるわけです。

変な話ですが、好きなタイプとして上げる特徴がもはや誰でも持っているとなった時、それがもはや好きな理由でなくなる。






人は好きになるのは「社会的に見てマイノリティな部分」に共感するからかもしれません。

それが消えていく。








だからこそ、と昔はマジョリティだった文化をマイノリティと自覚してでも維持し続けようとする姿勢。

それだけに価値があるということです。お金が発生しづらく「金より大事なもの」の形容詞です。







僕が毎日寝る前に高田馬場ミカドの対戦動画を見ているのはこれが原因でしょうね。
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