2018/10/6

知識を得る=自然と優しくなる  ふと思いついた事。

知っているのに優しくない、は人間にとって難しい。

知ってるからこそ冷たい、というのも勿論ありますが。




僕が小学生の頃、転んだ際におならが一緒にでてしまいました。そこで

・「うわくっせー」と軽蔑するもの

・笑ってドンマイと言ってくれるもの


の二つのグループに別れました。

後者は「腹が刺激されるると意図なくおならが出る」という知識を持っている、と見て取れます。



子供が優しくない、生意気なのは「知識がないから」が大半を占めている、という仮説。



だが罠があります。「知識がある」を表面上に浮かび上がらせるために「優しくする」というもの。

つまり、「知識があるから優しい」は十分条件ということ。


悪い影響を受けるのは本人です。自分の本音がわからなくなる。

本音、自分が何がしたいか、どう考えているのか、がわからないと人生苦になります。



僕は「暴力を受けて育ったから人一倍優しい」と評されたことあるんですが、これは間違いです。

暴力を受けて得たのは「暴力の正当化」です。

他人に暴力を振るい「このくらいで泣くのか」「血が出てもいないのに負けを認めてるのか」というようないわゆる「異常タフ性」を獲得。



暴力の危険性を知ったのは、あらゆる書籍で得た「暴力被害者の後遺症」が自分にも当てはまっていたからです。

例えば人は簡単に暴力を振るうという思考から対人恐怖症が払拭できなかったり、自己評価を下げることに勤しむ習慣がついていたり。

また8歳以降で暴力を振るう人間には自動相談所等での特別措置が必要だということも。

僕が経験第一主義を疑問視している根拠の一つです。


僕は学校で暴力を振るった時、校長室に呼ばれ危ないからと爪を切られ危険人物と呼ばれ。

そこでの得た経験は「なぜ僕だけ?」「他の暴力振るっている人は見逃すの?」「兄は未だ僕に暴力を振るい続けているが?」

という排外経験。「たまたま先生に見つかったお前は運が悪い」という理不尽さ。


ちなみに当時僕よりも暴力を振るい続けるヤンキーがいて同級生を数人登校拒否や転校もさせているのにお咎めなしでした。




体験と知識のバランス、難しい。





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