2018/11/29

勉強の質の決定は予習で決まる  ふと思いついた事。

・超超超今更案件。自分だけの可能性が高いですが。


僕が学校含む勉強で「とっつきやすい」「勉強意欲が高い」「高得点を取れた」のは総じて「理論立てた本格的な勉強をする前にある程度知っていた」ことです。


例えば数学関連は兄の教科書やゲームで、国語はアニメや漫画で。

社会が苦手なのは歴史関連、例えばどこかの歴史的建造物に行ったとか海外旅行に行ったことがなかったので超苦手でした。


ここに行き着くまで

予習=授業前に授業範囲を勉強すること

今は

予習=授業前に身につけた知識全部









・予習に対する考えがかなり変わりました。

正直なところ「無駄な時間」とさえ思っていました。

授業で同じことするんだろ?」と。予習で理解できたんなら授業自体無価値だと。









・予習の罠は「授業」という概念にあるんですよね。

つまり授業を重心、基本として考えてしまっているということ。

違うんですよね、授業なんて単なる補足、付け足し、脇役でしかない。

自分では見つけ出せなかった、浮かばなかった考えが知ればいいかな程度の軽い価値です。








・なぜ授業に対して大きな価値を置いていたのか
・・・・というか日本で教育を受けた人は全員重きを置くしかないですが。

まず出なかったから「内申点」という個人的にはクソ制度だと考えていますが著しくさがりますし、高校以降は進級できませんし。

大学は授業の専門化が進み全国統一された授業範囲は一応ありますがないに等しく、単に勉強難易度が著しく上がるので授業にでて「わからないことがわからない」という壊滅的な状況を打破する必要性があります。

ですが、その専門分野を独学で理解しているのならば出なくてもいい、というのは大学教育の特権でもあります(出席の有無を成績に加味する場合もありますが)。










・で、予習は授業を受けるためにあり、授業なくして予習は成り立たない、という考えでした。



でも今はそうではなく、授業と予習は各々独立した概念で、授業は予習の成果を確認する場。


「ということは授業前に授業内容を勉強したらいいんだな」というのは予習の一部、一つの方法であるが前述した通り授業ベースの考え。

授業なんて勉強の一つ方法ではなくて「合わない」ことがあっても当たり前なんです。

授業の価値が高い点というのは先生の世間話だったりするんですよ、本当に。












・予習はそれと意識せず常に蓄積されていっているということです。

ブログで文章を綴り続けているのも、何か仕事で文章を書く機会が訪れれば「予習していた」ことになるんです。

この考えで得る利点は

勉強していてわからないとっつきにくいことはこれまで予習が蓄積されていなかっただけ。

・逆にとっつきやすかった時に「何が予習として働いたか」を見つけ出すことでその行為の効用を認識でき応用に活かせる
(応用とはパターン認識からの発展、また同じ予習項目を別の分野に活かせる可能性をみつける)









・ある知識がない事柄を勉強する際に事後か事前どっちのがいいのか問題。


例えば勉強を深めるため歴史的建造物を見学するとする。

この見学を勉強に入る前か後ろかどっちにするか。

・・・「予習」です。勉強の際に「あ、知ってる。」「みたことある」と実際目にした記憶から想像を膨らませることができ「理解難化(わからない)」を和らげる作用がある。


・・・「わからない」から出発。これを「知的好奇心発生」と好意的に受け止められるか個人能力が試される。発生しなければ「苦手分野」に属し見学がただの苦痛となる。
(知的好奇心は「自分が知らない=自分はバカ」という思想がある人には発生せずただ惨めになるんですよね)
(さらに言えば「元々好きなジャンル」でしか発生しないと思うんですよね。僕が貧弱なだけかもしれませんが、ゲームや映画で「PVをみる(予習をする)」が嫌いなのは「新鮮味(わからないを含む)」をあえて欲しているからで、それは2つとも「大好きな分野」だからです。)


苦手意識が発生その分野における己の敗北だと言い換えられる。

一度発生すると反射的に避けるようになり苦痛が生じる。

予習はこのようなトラブルを避ける効用も確認できる。










・予習の大切さ、予習が全てです。

あくまでも準備じゃありません。

準備予習とニアリイコールではなく予習の一部です。

目的達成の確立を上げるため行為を起こす前に策を練ったり道具を集めたりする行為。

予習は「何の道具を集めたら効果高いか」を考えられる基であり、策の有効性を判断できる能力の基である。













・全く描けないが美術展巡りが好き、は立派な予習です。

もし後に絵を書き始めたとすると「〜ぽい」とか「なんかかっこ悪い」という感性を獲得しているはずですし。



「今やっている何か」「今考えている何か」「今遭遇しているこの場面」すべて予習です。


ただ、予習が功をなせる選択をするのは個人の能力です。
















まとめです。

・授業は予習の確認作業と位置付けるだけでもありがたく思えよと言いたいほど、予習と比較して重要性は低い。

予習は個人の全分野に当てはまる(行動・思考・遭遇・周囲の環境・・・)

「わからないこと」「とっつきにくいこと」は予習していなかったことであり「自分の中にない全く新しい概念」である。




「授業」についてはまた今度改めて考えてみたい。



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