2019/2/23

責任は相手をコントロールする道具  ふと思いついた事。

要約

・責任は「他人が納得する条件」に言い換えられ、これを利用することで相手をコントロールできる。

・「責任とれば何をやっても良い」という発想は「いつ死んでも構わない覚悟」or「殺されるわけがないとう傲慢」のどちらかが前提

・「責任を取ればば何をやっても良い」という主張自体、相手に「この人は責任を取ってくれる人だ」と思い込ませコントロールしやすくなる。

結論

責任は相手をコントロールするための道具であり、責任でコントロールしようとする相手に敏感に反応すること。



本文

責任について考えている時。

大学生時代に出会った一つ下の男に

「責任とれば何やってもいいんですよ。」

とアドバイス的なことをされて僕は「戦争の原因となった場合責任取るって元どおりすることにならない?」と返しました。

相手は「何こいつ面倒なこと言いやがって」みたいな顔をして終わりました。




今考えても僕の例は悪く「極端」な部類に入る。

当人が言っていたのはあくまでも「個人が責任をとれる範囲」だったんだなと。

しかしその責任を決めるのは他人であり、それを受け入れるとはなんて酷なことなんだと思ったり。



で、気づいたこと。

これは「他人を自分の思いのままにするために責任をちらつかせる」ことだったんだな、と。

ゲスだと思う一方でなるほど、人類を信頼しているからできる発想だなと。

というのも性善説に近い「もし自分が責任とることになっても相手は《良い人間》だから深くは追求しないはずだ」という前提がある。

僕は幼い頃から「捨てられる」「殺される」恐怖を何度も経験してしまいその信頼を前提とする発想展開が不可能だった。

「人はカッとなれば簡単に他殺する」という前提で生きている。


その年下男が「こいつは絶対に殺人しないし、例え俺が傷つけても他言しない《良い人間》だ。」と判定してから責任を持ち出しているのかな、とも。



確かに、責任、言い換えると「他人が納得する条件」を提示すればコントロールできるな、と。

責任の有効活用。

これから使っていこう。

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