2019/3/25

自分を褒めるくせがないと人間性が失われる  ふと思いついた事。



僕は基本「褒め」は危険な概念だと位置付けています。

なぜなら強力な言葉、この場合の強力とは相手にインパクトを与えやすいということ。

人によってはそれを「長所」と価値づけますし、また好意を寄せるきっかけにもなる。

さらには「それがその人の価値だ」と周囲に思い込ませることもできる。


目的がなく「本音だから」と安易に褒めることでの弊害、またコントロール目的での手段として有能。




僕自身「褒め」にかなりの猜疑心を小学生の頃から持ち合わせている。

だからと言ってこのことを他人に言うのはどうかと今は思いますね。

なぜなら圧倒的に褒められて嬉しい、で思考が終わる方が幸せだからです。

僕は「コントロールされた幸せとは?」みたいなくだらないととさえ思えることを考えることが趣味。






で、大事なのは「自分を褒める癖」です。

努力の可視化。お腹減ってご飯を食べるだけ、も立派な努力なんですよ。

「え?当たり前じゃん」と。当たり前のレベルを引き上げることが人間の価値を上げる、とよく言われています。

まぁ確かに、と思う一方でそれは自分の行動の価値を下げる行為でもある。


自分を褒める、とは外界から守る手段でもあります。

他人から何か叱られて「人間としてダメ」って平気で使う人多いじゃないですか。

そんな言葉を使う人の言語感覚に辟易しますが、やはり言われると凹む。

そんな時普段から自分を褒めていると「ちゃんと予定通りに行動して、腹減ったら自発的にご飯食えるのにダメってなんだよ」と反発できる。

隙を許さない。

あれですよ、ここまで書いたことは僕個人の感性ですし、それが続きます。


本当に、自分を褒めないと、普段やっていることの価値を認めないと自己破壊します。

「反当たり前のレベルを上げる派閥」ですね。

気をつけることは物事によっての価値の差を広げ過ぎないようにすることですね。

空腹でご飯を食う、と大勢の前でプレゼンして好評を得た、をほぼ同価値にする。

価値の差を広げると、優劣が生まれ結局は空腹飯食うが近似「当たり前」になってしまう。


自分を褒められるのは自分だけなんですよ。

自分の人生を知っているのは自分だけなんですよ。

自分でも的外れな指摘を自身にするのに、他人が的を得るなんてほぼ不可能です。




僕や「苦しみ、何かを犠牲にしたこと」のみ努力とみなす癖があります。

今の生活はこれまで歴史を紡いできた多くの人たちのおかげはもちろんのことです。

しかし服を着て、買い物をして、ご飯を食べるのは自動的ではなくて僕固有の人間が成し遂げている。

生きるための努力を日々行なっている。

そんな自分を褒めなければ、自分の一番の功労者を無下にすることはあってはならない。

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