2019/6/22

エヴァの映画を久しぶりにnetflixでみて  1日まとめ記事


8年ぶりくらいに見たんですが、気落ちがすごい。

ダメージ、どんよりとした、なんか未来が不安になって全ての行動浮つきましたね。

まぁ一晩寝たら回復したんですが、確か初めて見た中学生の頃は1ヶ月以上影響を受けて抜けきれない余韻が今もなお感情・性格として沈殿している。



映像作品は脳に直接刺激を与え操作させる、つくづくそう思いますね。

この作用を自覚してから落ち込んだ時は「言の葉の庭」を必ず見ます。本当に最高の脳内洗濯作品。



で、ある方針を変えました

子供に「自分の目で見て考えた結果が何よりも尊い」と教えようという方針。

この方針を破棄。子供一人で考えさせるのは非常に酷なことだな、という考えへ。



個人の尊厳、それに子供の尊厳をないがしろにしかねない方針だ!と糾弾されてもおかしくない。

でも「個人の尊厳を理解できている子供」にしか通用しないのでは、というのが僕の考え。

思考には段階があって「自分自身の考えぬいた結果が最も尊い」は1段目ではなく結構登らないとたどり着けない。




例えば周りの意見に影響されたことに気づかずに「自分の意見」だと思い込む、という危険性。

何かを選択した子供に対して「それはあなたが選んだんだよね?」としつこく子供に自由意志で選んだことを尋ねる、という教育。

これは「責任感を強く持たせるため」「自分で選べる決断力をつけるため」という趣旨。

ただ僕は「言質取り」「理解難度が高い概念の責任を押し付け親が責任逃れ」という見方ですね今は。



この教育は思考の段階をすっ飛ばしている。

「なぜ正解を知っている親よりも失敗を選択する可能性が高い自分が選ぶ方が尊いのか」
「失敗して落ち込んだ気持ちの対処法はどうしたらいいのか」
「まず責任ってなんなのか」

等々をすっ飛ばして「自分の選択に責任を持て」を子供に要求する。



「影響の受けやすさ」というのは「思考の段階をすっ飛ばし具合」と比例する。

すっ飛ばした分理解し難くなり「自分の型」がないんですよね。

全く宇宙の知識がない人に重力レンズの話をすると「そんなことあるんだ!」と疑い知らずだが、知識があると「いや、自分はこう思っていて・・」と切り替えられる。



なので、段階を経ていない子供にエヴァ映画を見させたら拒絶反応とか絶望感とか、ひたすらネガティブな感情を発生させてしまう 危険性がとても高い。

「検閲」は大嫌いなんですが、普段美味しく食べているあらゆる肉の屠殺現場は見ないような、そんなフィルタリングは必要なんですよ。


ただそのフィルタリングをする時も、なぜするのか、フィルタリングなしで見る場合はどの段階を踏まないと危険なのか、をちゃんと話すべき。





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