2019/10/16

「頑張った経験」は何であれ当人にとっては部類なき財産  1日まとめ記事




めっちゃ頑張ったのに失敗した。

落ち込んだ。自分なんかいなくなればいい。励ましなんていらない。

もうこんな感情に出会いたくない。だから頑張ることをやめた。


という経験ないですか?というかこの経験しない人はめっちゃエリートか挑戦から逃げた人くらいでしょう。

で、この経験からどのような選択肢をするかがその人の人生に直結します。



・本当に頑張ることをやめた人

・頑張ろうとするとロックがかかる・・・トラウマによる神経障害(ちなみに医学的証明されている症状です)

・その激しい落ち込みは、頑張った証拠であり、頑張らなければな味わえないので「大変貴重な財産」と価値づける。



僕は一番最後のみ真実で、上二つは思考能力が高いが故の生命遵守ではないかと、自分は基本自分しか守ることができず、また思考についてはより自分でしか守れない、守らなければいけないことに気づいたので出た答えです。



「生命遵守的思考」とは世間では「逃げ」と言われる行動に移る思考のことです。

僕は「逃げ」という言葉それ自体は嫌いじゃないですが、世間で使われている「逃げ」は「お前の人生の汚点」「弱者」とかとか貶す意味が含まれるのがほとんどなので大嫌いです。

なので「生命遵守的思考」と言い換えています。僕はこっちの方が絶対に意味合いが正しいと断言できます。



ただ、その生命遵守的思考は本来の目的だったり、自分のやりたいことを「ぼかしてしまう」デメリットがあります。

好きな女子に告白して熱い想いを手紙に書いたのにこっぴどく振られる。以降好きになったら距離を置くようになる、とか。

当たり前なんですが「生命遵守」は人間にとって最も大切な行動発露です。

なのでどうしても発動してしまうと「やりたいこと」よりも優先させてしまう。

一度発動すると元通りにすることは困難。




で、がんばったが故の失敗、からの大きなショックは、その大きなショック自体に大変な価値があることを知るべきです。

その頑張りで大きなショックを味わえるのは自分しかいません。これも事実です。

先にも書きましたが「本当にがんばった」証拠です。周りがどう言おうが証明しています。


「感情」は大原則として、全て本人にとっては部類なき財産なんです。

そしてこれも大原則なんですが、他人は容易く他人の感情を否定します。

特に上の立場、親、兄・姉、教育者、上司とかとか。

「おかしい」とか「それは違うよ」とか。上の立場である私の方が知っているに決まっている、と。


しかし「感情」の最上位は「本人」です。他人はピラミッドの一番底、王にとって平民のペットくらいの位置です。



あらゆる感情は自分しか価値、意味付けできません。なのでこれはしなければならない。

しなければ他人にいいように扱われるだけです。

大きなショックは吟味しなくてはならない。


あと大きなショックを連続で受け止めると慣れます。

慣れると再起までの時間が短くなり行動力があがります。









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