2020/1/18

センター試験恐怖症  1日まとめ記事




未だセンター試験当日になると、受験生だったあの1年の凝縮された不安が蘇る。

感覚って一度体験すると、思い返すだけで再生されますよね。



受験生頑張れ!ってホッカイロくれたりキットカットくれたり。

僕はそれが凄く虚しかった。受験生って、まだ18になったばかりになのに今後の人生を決めるこの行事なに?と。

さらに今まで生きてきた人生を評価されるってことですよね!?と。

受験生だからって何かプレゼントされるのってそれに拍車がかかるんですよね。




ただ、改めて思い返すと「楽しかった」という要素も探せばあるな、と。

「何よりも優先することがある状況」って、そんなことないのに他のことをやらなくていい免罪符になってくれる。

僕はあらゆることに「意味」を求めてそして付加してしまう。

だけど受験生時は「勉強優先だから」で終わり。最強の理由になってしまう。

で、周りも納得してくれる。それだけ強力。

もっと受験生アピールしとけばよかったな!と。もっと美味しい飯食いたかったな、と。




後悔は自分の勉強法の確立を怠ってしまったことですね。

他人の「おすすめ勉強法」を真似して真似して、無心にこれをすることで成績が伸びるはずだ!と。

確かに伸びましたがわずかでしたし、何より苦痛でした。

苦痛の我慢=成長という間違った等式が脳内で完成してしまったし。


効率が良い=頭がいい、成長できる、に信仰してしまった。

効率が良いは多角的な見方があって「表面だけ」もあれば「本当は必要な物をこぼしている」ことだって多々ある。


楽しく集中できる、こそ大切なのは大学4回生のころやっと少し気づいた程度。

量子力学と素粒子が意味わからなすぎて「文系でもわかる!科学の歴史!」をなんとなく読んでそれでやっと理解できるようになって。

ただ詰め込むんじゃなくて勉学だって誕生した理由と歴史があり、そこを知ることで何をしているのか、何に必要なのかを自分なりの咀嚼ができて。


文系と理系を分ける無意味さも理解できて。効率よく勉学できるように、一つの分野に集中できるようにさせる日本らしい住み分けだなって。


文系から理系、理系から文系の転移は大きな決断じゃなくて多くの人が隔たりなく行き来している様を見て。






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