2020/4/24

自己責任という言葉いかにバグなのかを書く  1日まとめ記事



自己責任という言葉が大嫌いで、もはや差別に近いまであるなとさえ捉えています。

自己責任=大人、社会参画のための必須概念、というように教えられ「自分が悪いです」と認めるのが美徳とされています。


どこらへんがバグなのかというと、言葉そのままの意味の「自己責任」ではない場合も自己責任であると主張しなければならないこと。

また他人からもそう追求されそれを認めないといけないところ。







物事の因果に「責任」を代入するならば、必ず「自己」の割合が発生する。

それは「生きている」証でもありますし、例えば中東の戦争だって「日本にいるだけで全く止めようとしない」という自己責任を僕は主張することができる。

上の例えは「あまりにも距離が遠すぎる」ので屁理屈に思えますが、基本自己責任は屁理屈をもっともらしく思わせたら勝ちです。






僕の中では真実なのですが「人間誰しも全ての物事に責任を持ちたい」という願望があります。

責任=コントロールできる権利であり、また失敗をし膨大な被害を出しても元どおりにできる力。

でも、そんな人間はビルゲイツでもできない、つまりいません。

生きている以上「自己責任」のみで生命活動をすることは不可能です。

できるかぎり割合を増やそうという作業、これこそが「自分を知るため」の行動であり自愛への道のりです。








自己責任は誰しも持っているものであるが、自己責任だと主張するレベルに達することは相当難しい、というバグ。

お腹が減り美味しいものを食べようと選択したものが口に合わなかった。

これでも自己責任の割合は相当低いです。

空腹になる時間帯は選べないし、一瞬でテレポートできない限り周囲の飲食店スーパーでの選択範囲になりますし、その時口に合わなかっただけで違う機会に食べると合う可能性もありますし。


500円あればあらゆる味の食事ができるので飲食業は「個人の自己責任の割合を高める経済活動」をしているともいえますね。


自己責任は視野を矮小化させあたかも全ての原因が自分であると思わせる、宇宙ができたのは地球があるからですみたいな意味不明なロジック。







ただし、この自己責任システムによって人同士の信頼であったり仕事として経済活動に発展している事実があります。

自己責任は道具、です。なのでうまく使わなければなりません。

「自分の内部にある概念」じゃないです。外部にある道具です。

というか、外部にあるからこそ多くの人間たちに適用できます。

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