2020/9/27

ジョーカー 感想  映画(見たもの、見たいもの)



去年日本でも大ヒットした映画。

バットマンの宿命のライバルジョーカー生誕のお話。

スーサイドスクワッドのあの見た後の時間を無駄にしてしまった感を二度と味わいたくなかったので見る気がしなかった。

スーサイドスクワッドは映画の相性が悪かったんでしょうね。

映画は大体上映時間が2時間だったり飽きさせないようにしようとしたり制約が多い。

時間を合わせるのは確かに予定を入れやすいけどそれが原因で面白くなくなる、ということを学習させるような映画を作ってほしい。

スーサイドスクワッドは予告編の2分が相性良いです。





本編感想。

ジョーカー自身を賛美、共感する感想を多数目にしてきて「社会や周囲から尊厳を蔑ろにされた人の傷を癒す映画」だという認識で見ました。

だけど観賞後、怖くなりましたね。

というか面倒になったというか「私を怒らせたらこんなことしますよ」的な意味合いで「ジョーカーの気持ちわかるわー」と言っているのかな、と思ってしまった。

確かにジョーカーことアーサーの人生は辛いもの、不意に笑ってしまったり笑いどころが理解できなかったり、見知らぬ人から暴行を受けたり幼少期に虐待を受けていたり。

否定的感想のようですが、僕は本作のこと好きです。かなり楽しめました。

2時間途中でやめずにずっと見ていられる、ってだけでも希なんですよ僕にとっては。

それに加え観賞後も色々考えさせ「あー見てよかった!」と知見が広がった感覚がありますし。



感想に戻ります。

作品自体は好きですが、ジョーカー本人自体には共感はできませんでした。

というかそういう作りになってますよね。共感しちゃいかんよって。

現実問題、個人の鬱憤を放置させいつの間にか大勢の共通認識となり爆発するというの現在もよくある。デモとか。

革命だったり一揆の原因で小学校の教科書にも載るほど重大な出来事として紹介される。


政治家に警鐘を鳴らす作品でもあるけど、国民一人一人に対しても警鐘を鳴らしているな、と。

それがなんなのかは受け取り側次第なんですが、僕は集団意識を薄めようという努力、己個人の感覚をもっと大切にしようと。


こんな感想的外れだし何をみているんだ、という批判を絶対に受ける感想です。

集団に馴染みたいけど馴染まなければいけない、コメディアンになるためには大勢が共感する共通の笑いどころを理解しなければならない。

馴染ませようという行動、アーサー自身の行動力は半端ないです。

ピエロに扮して街頭にでる、公開収録番組で1人大声をだし司会者とコミュニケーションを取る、とか。

だけど馴染めない、「笑わせる」じゃなくて「笑い者にされる」体験をして自分を理解してもらえない孤独感が増していく。



過剰防衛で人殺しをしてしまい、そこからどんどん崩れ支えようとしてくれた友人を殺してしまう、防衛ではなくただの殺人。

タカが外れたのか自分しか持っていないであろう、理解されないであろう鬱憤を爆発させる、自殺行動ですね。

その自殺行動をしたら人生史上初めてであり大規模な共感、支持を得て「王様」のように崇められる。



まぁこんな体験したら誰でもジョーカーになりますよ、っていう感じです。

なので「人に合わせようとする」の一種の自傷行為でもある。

その結果実際「合わせることに成功」したところでそれは「共感」ではない。

共感とは「自分だけだろうな」と思っている点が実は他人もそう思っていた、というもの。




集団意識を押し付けない、自分に対しても薄める、他人からは拒絶する。

「おかしい」「みんなと違う」「普通と違う」「一般的と違う」というような、自分個人が共感できないだけなのに主語を「みんな」にして否定する言葉を拒絶する。

自分自身を大切にしたら、勝手に自分を大切にする他人と出会う、的な連動。


ジョーカーになるための説明書でもあり、ジョーカーにならないためにはの説明書でもある。

集団意識を薄めて自分固有の感覚を大事にする。

自分固有の感覚は絶対誰かと共感するんですよ。同じ人間ですし同じ生物ですし。


逆に共感できてしまう地獄なんですよ現実は。「自分だけは」はありえない。だから自分自身だけを大切にすることは誰かを大切にすることに絶対繋がってしまう。

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