2020/9/30

「責任を避けるため」の隠し事  1日まとめ記事



不倫だったり。

「バレなければ何をやってもいい」というのは責任が追及されなければ何をやってもいいという考え。


生きていく上で学ぶ技術で「やりたい」ことと「やったら叩かれる」ということが重ね合ってしまう。


「やりたい」を優先させたく、どうやったら叩かれないかを考え「いけるかも」と判断すると実際にやる。



責任はフレキシブル、定まった定義もなければ人によってルールも違う。

「やったら叩かれる」と誰でもわかることなのに「叩かれない」と信じている人。

また「叩かれることが平気な人」にとっては責任なんてないに等しい。




僕は責任において「その人にとって生きやすいこと」が大前提で個人がルールを作った方がいい、という考えにたどり着いた。

現状、国レベルでは責任の考えが全く違う、殺人はナイス行動みたいな国もあるわけです。

各国から非難されても民族浄化を進めている国もあるわけですし。


あかたも「全人類共通概念」みたいなでかい顔をした責任ですが、そうではなくブレブレ。

なので自分が生きやすいように勝手に設定する、がいいです。

「法治国家で人殺しをしてもいいってこか!」のような反論について。


そうなんですよ、簡単に反論ができるのに実際成立する、それが責任です。

殺人をしてしまった場合、日本では重罪として裁かれますがまずそれが機能するためには「それがバレる」必要がある。

さらに殺人でも「自己防衛」だったり「強盗殺人」だったり、理由も違いまた刑の重さも違う。


防衛と認められ無罪となったとしても、亡くなった家族からは「人殺し!」という、続けて責任を追求する気持ちが変わらないかもしれない。

ちょっと方向を変えれば「責任追及必要ない」ことになる一方では「重い責任を追及する」となる。





他人の不倫は僕にとってはどうでもよく、スポーツ選手がそれで大きなペナルティを受けたとしても「え、ペナルティ与えずに記者会見とかで嘘偽りなく詳細を説明するとかでいいんじゃない?」と思ってしまう。

つまり僕はスポンサーの偉い人なら降ろさずそう提案する。

「責任を求める・求めない」の違い、求める場合は「内容・方法」も違う。

こんな曖昧でフレキシブルで多様な概念を「責任」というたった2語でまとめてしまうのは、言葉の欠点です。


言葉はイメージを他人と共有させるため、簡易化させ効率化させる道具。

だけど、できないのに無理矢理した結果あたかも「全人類共通概念」のように位置付けてしまい、個人の尊厳を押しつぶす概念になってしまう恐れがある。

その代表が責任。責任は性格による、というブレブレのもの。
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